青ひげ
作:西田三郎
「第9話」

 

■わたしに飽きないでね

 数日後の週末、会社帰りに青山と飲んだ。

  会社の近くの居酒屋である。
  ここでしばらく飲んだ後、そのままわたしは……また青山の部屋に行くのだ。
  青山は目の前でだし巻き卵に箸をつけている。

 わたしはウーロンハイの2杯目を待っていた。
  青山はお酒を飲まない。

 「ねえ……」わたしは言った。「井口さん、どうしてるだろうね?」
  「え?」青山が顔を上げる。
  「井口さん……ほら、この前会社を辞めた」
  「ああ………」青山がウーロン茶にちびりと口をつける。「どうしてるんでしょうね?……元気ですかねえ
 
  わたしはもはやこの男に呆れることもできなかった。

 「井口さんをあんな風にしたのは、あんたでしょう?」わたしは言った。驚くほど自分の声が醒めていることに気づいた。「……そうでしょ?井口さんだけじゃない。大杉さんに白土さん、それにリョー子ちゃん、みんなあんたが……みんなあんたが辞めさせちゃったんでしょ?」
  「……え?それ、僕のせいなんですかあ?………なんで?」
 
  青山がキョトンとした顔でわたしを見る。

 「……あんた、他の女の子にもこういう事してきたんでしょ?……ねえ、そうなんでしょ?……わたしはあんたにとって何人目?ねえ、何のためにこんなことしてるの?………教えてよ」
  「……そんな、川辺さん」青山がまた笑う。「川辺さんだって、僕の前に彼氏がいたんでしょう?……僕が一度だって、川辺さんの昔の彼氏のことに関していろいろ言ったことがありますか?……お互い大人じゃないですか
  「……だって……」
  「そりゃ、僕だって川辺さんの前の彼氏のことが気にならないわけじゃないですよ。そりゃ僕だってふつうの男ですからね。嫉妬もしますよ。でも、大人だから口にしないんです………わかりますよね?」

 またもへらへらと笑う青山。

 「……そ、それとこれとは……」わたしは口ごもった。
  「……同じですよ。お互い、過去のことに関してはノータッチにしましょう。いいじゃないですか……僕といると楽しくないですか?僕は川辺さんといるとほんとうに楽しいんですけど……?」
  「…………」思わず俯いた。

 だ、だめだ。素直に喜んじゃだめだ。

 「……今が楽しければそれでいいじゃないですか……?そうでしょ?」

 青山が笑う。
  わたしの心は、泣きたいくらいの喜びに包まれていた。しかしそれに反比例して、全身の肌が鳥肌に包まれている。心と身体がそれぞれ別の将来を予感して、それぞれ別の反応をしていた。

 「ねえ、ひとつだけ教えて……井口さんと、大杉さん、白土さん、リョー子ちゃん、この4人と付き合い出したきっかけは何なの………それに、どういういきさつであんた、この4人と別れちゃったの?」
 
  青山は笑顔を崩さなかった。目も笑っている。
  こいつは心から笑っているのだ。

 「……あの4人と僕が付き合ってたって証拠でもあるんですか?……それは川辺さんの思い違いかもしれませんよ。いや、とんでもない思い違いだ。あの4人と僕は何の関係もありません。ええ、まったく関係ありませんとも」
  「だ、だって……井口さんはあんたの事を………」
 
  “青山さんは……わたしのこと、心配してました?

 あの日、井口はわたしにはっきりとそう言った。
  ほぼ生ける屍になりながらも、青山のことを尋ねるその目だけはギラギラと輝いていたのを覚えている。

 「……僕のことを……何か?」青山は事もなげに言った。

 「もう……いいよ」わたしは下を向いた。
  お代わりのウーロンハイがやってきた。

  「そんなに暗い顔しないでくださいよ……川辺さん。せっかくの週末なんだから」青山が言う「……この前ね、すごいマッサージを覚えたんです……すごいですよ。全身のむくみがきれいに取れます。ぜひ川辺さんにこれをしてあげたくって………」
  「……ねえ」わたしは再び顔を上げた「……ねえ、あんた、いつまでわたしと一緒に居てくれるの?いつまでわたしとこんなこと続けてくれるの?」

 ポカン、と青山が口を開く。

 「いつまでって……」と青山。「それは……川辺さんが僕に飽きるまで………僕に愛想を尽かすまで、ですかね」
  「わたしに飽きられるのが怖い?」わたしは乾いた笑いを浮かべて言った。
  「ええもう、そりゃ死ぬほど」

 青山がぶるぶるっ、とわざとらしく身を震わせる。

 うそつき。

 わたしは心の中で言った。
  ほんとうはその逆だ。
  青山がわたしに飽きるまで、わたしは青山から逃れられないのだ。
  そして、青山がわたしに飽きたら……わたしはこの吸血鬼のような男に捨てられる。井口や、白土や、大杉や、リョー子ちゃんみたいに。

 「……まあ……いいか」わたしは独り言のように呟いた。
  「え、何か言いました?」青山が身を乗り出す。
  「ううん、何でもない」

 少しだけ、気分が明るくなったのは……隣のテーブルに座っている、若い学生風のカップルを見たからだ。二人とも若く、冗談を言い合い、黙っているときはそのままお互い見詰め合っている。けっ。

 あの二人とわたしたち、どこに違うところがある?
 
  何も変わりはしない。結局はあの二人も、わたしたちも一緒だ。
  青山が言うように……今が楽しければそれでいいじゃないか。

 と、気がつくと青山がわたしの顔をじっと見ている。
 
  「何?」わたしは青山に言った。
  「今日は特に……きれいですね、川辺さん」
  青山がヘラヘラと笑いながら言った。

 「大うそつき

  わたしは笑いながら答えた。

(了)

2006.8.20

 
面白かったらぽちっと押してね♪

 

 感想などありましたらお気軽にどうぞ。読んで本気汁出します(笑)

Powered by NINJA TOOLS

<つづく>



 
 

BACK

TOP