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拝啓、石原都知事殿
〜赤坂少女監禁事件〜
妄想:西田三郎■2004/09/09 (木) 特集「赤坂少女監禁事件」 第7回 『風呂のなかの屁のようなコメント』
さあさあお立ち会い。いよいよ本題に入りますですよ?
アー・ユー・レディー?その人の名は石原慎太郎東京都知事。
そう、金持ちでプリティ・ヴェイカントな若者達のアナーキーな青春を描いた「太陽族小説」で名を馳せ、天下を取ったアノ人。村上龍の「13歳のハローワーク」によりますと、
“作家は最終職業。銀行員から作家になった人、政治家から作家になった人は居ても、その逆はあまりない”
とあるのですが、その定義を根底から覆し(堺屋太一もそうか…。あんまり何もしなかったので忘れてた)、歯に衣着せぬ発言で日本保守層を強烈にフィスト・ファックして虜にしているあの人物です。昨日挙げました「三国人」発言も当時、物議を醸しました。
その後、「広辞林」を示しての釈明会見で、その言葉の一義は「一般に外国人を指す」ものであり…なんて言い訳しちゃうところもご愛敬。「広辞林」をひもとかないと通じない意味なんて一般的ではない、とか、作家としては一般的かも知れないが不特定多数を対象に発言せねばならない現在の地位では、より一般的な言葉を用いるべきなのに、なんてツッコミもありますが、まー本人もそう弁解してらっしゃるので大目に見てあげましょう(そのかわり“三国人”って言葉が流行っちゃいましたが)。これくらいの言葉を使わないとバカばっかりのこの日本では、誰もまじめに考えない、みたいな石原流の作戦みたいなものがあるのかも知れません。しかし、そうした言葉まで持ち出して“東京の犯罪は過去と違ってきた”ことを主張された都知事なのに、この「赤坂少女監禁事件」に関しては、以下のような、風呂の中で屁をこいたような発言しかされていないのです。
「部屋の掃除をさせるという形で子供を釣って…。日本の風俗が乱れ、ゆがんできたことを象徴する事件だという気がする」
「渋谷というのはかなり異常な街だ(中略)罪を犯した個人にはもちろん責任があるが、そういう社会を誰がつくったかといえば、みんなの責任。日本人も大きな反省をするべき時点に差し掛かってきたという感じがする」
(2001年7月18日の記者会見にて)・・・え?こんだけ?
どうした?!カモン!石原!<つづく>
■2004/09/10 (金) 特集「赤坂少女監禁事件」 第8回『一晩で1523人補導!すごいぞ東京都!』
何というか、上に挙げた発言は「いかにも公人」、といった感じで、いつものインパクトにも具体性にも欠け過ぎているなあ、と当時のワタシは思いました。
一応(何の義理もないですが)ここでイッシーをフォローしときます。
当然、東京都はこの件に対して、何の対策もとらなかったワケではありません。
警視庁少年育成課は同年7月18日夜、渋谷センター街などにたむろするクソガキ共の一斉街頭補導を敢行しました。
援交しまくりーのの女子や、鼻ピぶらぶらさせてガン飛ばしまくりーのの男子、果てはコンビニ前にへたり込んでヤニ食ってる奴まで、合わせて、この日補導された少年少女は何と1523人!!!(いちおう内訳は男子1077名・女子446名)。罪状は深夜徘徊、喫煙などの「不良行為少年」が1447人、自転車窃盗などの「犯罪少年」「触法少年」が75人など。パクってパクってパクリまくったのですね。その夜、渋谷の街はまるで黒沢清の映画「回路」のようにノーマンズ・ランドと化し、逆に渋谷署はまるで「ロボコップ」に出てくる警察署のような大混乱だったことは想像に難くありません。
しかも、このガサが行われたのは石原都知事が、昨日挙げたような気の抜けたコーラのようなコメントを出したその晩(2001年7月18日)のことですので、その対応の素早さはさすが、というほかありません。しかし・・・。
こんな事をしても、明くる日にはまた、不良少年・少女、不良というほどではない少年・少女で渋谷の街は溢れ帰るのです。都の対応は実に急場しのぎであったとしか言いようがなく、恐らくこんな対応では「タクシー・ドライバー」のトラヴィス並の良識を持つ一部の都民は、満足することはないでしょう。
しかし、わたしのキチガイアンテナは、その理由をがっちりとキャッチしたのですね。
※西田先生にお便りを出そう!「だまれこの三国人」とか「いいかげんにしろ、朝●総○のスパイ野郎」とか、そんなのでもオッケーだよ!
<つづく>
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