愛の這ったあと
ある寝取られ男の記憶の系譜作:西田三郎
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■1 『目が覚めると、駅のホームだった』
気がつくと、2人の駅員と50がらみのサラリーマン、学生ふうの若い女性がわたしの顔を見下ろしていた。みんな心配そうな顔をしている。朝、目覚めたと きのような気分だった。でもここは自宅のベッドではないらしい。「大丈夫ですか?しっかりしてください」駅員がわたしに声を掛ける。「救急車を呼んだほうがいいですか?」
何のことだかさっぱりわからなかった。
よく見上げると学生ふうの女性は短いスカートを履いていたので、地面に仰向けになっているらしいわたしからは、彼女のスカートの中が余裕で覗けた。濃紺の パンツだった。俺は思わずにやけたが、彼女はスカートの中を覗かれていることに気づいていないようだった。
「……ええと……」何か実に照れくさい気分になって、とりあえず身を起こそうとしたら、頭にズキン、と痛みが走った。
「ダメダメ、ムリしないほうがいいです。今、救急車呼びますからね」駅員が言う。親切そうな男だ。「……そのまま寝ててください」
「……あの……」俺は言った。自分の声じゃないようだった。「……一体……」
「ここがどこだかわかりますか?………」もう一人の、年のいった駅員が言った。「……いま、駅のホームです。ここが何駅だかわかりますか?」
「……ええと……」
「あ、ダメダメ、寝てないと」駅員に制されたが、なんとか半身を起こした。わたしを取り囲んでいた数人のほかにも、何人かの野次馬がわたしを遠巻きに眺めて、心配と好 奇、両方の入り混じった目でわたしを見ていた。右手に、職場近くに最近建つというタワーマンションの入居募集広告が見える。つまり、ここは俺の職場の最寄 の地下鉄駅のホームだったということだ。
「………?………あれ………なんで………ええっと………」
「……大丈夫ですか?記憶がないんですか?」若い駅員がしゃがみこんで心配そうに聞く「……ここがどこだかわかりますか?」
「……ええと………」わたしは10年間通いつめた(はず)の会社の最寄り駅の名前を口にした。
「そうです。あなたはさっき、階段から足を滑らせて転んだんです」
「えっ?」信じられなかった。記憶がまるでない。「……そうなんですか?……ええっと……」わたしは左手首を見た。午後3時を5分過ぎたところ。
ええっと……ちょっと待てよ。階段から足を滑らせて落ちた、という駅員の話はまったくピンとこないが、なんで自分がこの時間にこの場所にいるのかまったく わからない。会社からどこへ出かける予定だったのか、それともどこかから帰ってきたところだったのか、ぜんぜんわからないのだ。「……落ちた?階段から?……ホントですか?」
「ええ、階段を下りてる最中に足を滑らせたんです」わたしにパンツを見せてくれた女子大生が言った。よく見ると、 美人ではないが、小動物を思わせる地味にかわいらしい顔をした子だった。「あたしの脇を滑りぬけるみたいに、ドドドドっと……一回転して、ホームに倒れた んです……覚えてませんか?」彼女もしゃがみこんで、心配そうに俺の顔を見た。
生脚の奥に、またパンツが見えた。パンツが見えるのも厭わずに、(恐らく)見ず知らずの俺のことを心配してくれている。とてもいい子 だ。この子となら、つき合ってもいいな、と俺は思った。まあ人に言うと信じられないと思われるかもしれないが、わたしはその一瞬の間に その子とセックスしている自分を思い浮かべた。結構背の高い子だった。俺の数秒間の妄想のなかで、わたしはその子をバックで突きまくって いた。いや、いかん。俺には妻がいるんだった。
そもそも、その場に居合わせたというだけで、見ず知らずのわたしのことをこんなに気遣ってくれている若い女の子に対して、なんてことを考えるんだ。「……ぜんぜん……憶えてません」わたしは自分を恥じて、彼女から視線をそらせた「……ホントですか?」
「……具合悪そうだったよ。君」そこで50がらみのサラリーマンがはじめて口を挟んだ「……なんか、フラフラした足取りだったし……大丈夫?」
「……そうなんですか?」いや、まったく覚えていない。
「……救急車、呼びますからね。そこでじっとしててください」年配の駅員が言う。「いますぐ呼びますから……」
「あ、ちょっと……ちょっと待ってください」わたしはなんとか、駅員を制した。「いや、大丈夫です……その、ええ、何ともありませんから……よっこら しょ」わたしは地面に膝をついて、身体を起こした。
周囲から“おお”という驚嘆の声が上がった。駅員たちも、女子大生も、サラリーマンも、目を丸くした。まるで生まれつき車椅子の男が、奇跡によって自分の 脚で立ち上がったかのような騒ぎだった。いや、少し大げさかも知れない。
「だ、大丈夫ですか?……無理しちゃダメですよ……」駅員が気遣わしげにわたしの肩に手を掛ける。
一瞬だけ、視界がぐらん、と揺れて、目の前にパチパチと花火が散ったが、最初に感じた頭痛はどこかに消えていた。きれいさっぱり、なんともない。という か、とても爽快な気分だった……まるで、12時間ぶっ通しで泥のように眠った後のようだ。視界が妙にクッキリし、見慣れているはずの地下鉄駅の風景が、い つもより明るく見えた。「……いやいや、大丈夫大丈夫。ぜんぜんOKです……いや、みなさんすみません……なんかご心配かけちゃって……いや、ほら。ちゃんと立てますし、歩けま す。どこも痛くありません……ぜんぜん大丈夫です……」
「でも……いちおう病院で診てもらったほうが……」若い駅員が言った。
「そうですよ」女子大生が言った。
「無理しちゃダメだよ」サラリーマンが言った。
「検査を受けたほうがいいですって……気を失われてたのはほんの2分くらいですけど……」2分?
そうか、ということは、この女子大生の言葉どおりだとすると、わたしが階段から脚を滑らせて落ちたのは、3時過ぎくらいだ。彼女の言葉を 信じるならば、わたしは階段を下っていた。で、この年配のサラリーマンの説によると、わたしは「フラフラした足取りだった」らしい。酒でも飲んでたの か?……いや、そんな感じじゃない……だいたい、まだ3時だし。というか、わたしはあまり酒が好きじゃないし、一人で飲むような習慣もない。
わたしを取り巻いていた親切で誠実な人々が……そのうちの一人はパンツまで見せてくれた……「ムリしたらダメ」とか「病院に言ったほうが いい」とかいろいろと声をかけてくれたが、わたしは一刻も早くこの状況から逃れたくて仕方がなかった。
と、そこに、ちょうど帰途の方面の電車が入ってきた。
「みなさん、ほんとうにすみません……いや、このとおり、大丈夫ですから……ええもう、ぜんぜん平気です……ほんとうにありがとうござい ました……ええ、どうもすみません……ではこれで……」
人々が呼び止める声も聞かずに、わたしは電車に飛び乗った。
ドアが閉まる。窓から、わたしのことをまだ心配そうに見ている女子大生の姿が見えた。
よく見るとけっこう巨乳だった。薄手のノースリーブのシャツの前が、若さで張り詰めていた。いい娘だ。
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