童貞スーサイズ

第四章 「
アウト・オブ・ザ・ブルー、イントゥ・ザ・ブラック



■第33話 ■ 消え去るより燃え尽きたほうがましさ
“…………変態
 巨大なテレビ画面の中で、ドウ子が恨めしそうな声を出す。
 画面の外のドウ子はコタツの右側から脚を突っ込んで、黙々と蜜柑を剥いていた。
 画面を正面から見ている工藤は、薄笑いを浮かべたまま次から次へと蜜柑を皮ごと口に放り込んでは咀嚼している。
 工藤の左側……ドウ子の正面からコタツに入った芳雄は、目の前に一個置かれた蜜柑に手をつけづにいた。

 工藤の顔を見る……この男が、ドウ子の言う“クラブ・ニルヴァーナ”のリーダー……『会長』なのか……?

 いや、そんなはずはない。ドウ子は「会長」には会ったことがないと言っていた。
 ではこの男は、『工藤』であると同時に一体何者なんだ。

 “…………ほら、だんだんぐちょぐちょになってく”
 テレビから父の声。
 続いて画面の中の父はドウ子のパンツの中で手を動かす。
 くちょくちょとパンツの中でドウ子の性器をもてあそぶ父が出す音が、今、目の前で蜜柑をくちょくちょと咀嚼する音に重なっている。

 「ああんっ………すっごい!!すっごい硬いってば………それ、それかなりキてるよ、死んじゃうよ!!」

 ……今度は二階からの愛の声だ。芳雄はもう気が狂いそうだった。

 “………どうかなあ、こんなことしてると、僕ら、地獄に堕ちちゃうかなあ……?どう思う?”
 画面の中の父が呟く。
 “……し………知らないよ………”画面の中でドウ子が答える。
 
 今ならばドウ子は間違いなく地獄行きだろう……では、自分は?
 芳雄がそんなことを考えていると、だしぬけに工藤が口を開いた。

「えーと……芳雄くん、君にはひとつ謝らなきゃなんない事があるなあ……」工藤の息は、柑橘系のいい香りがした。「お父さんのお葬式の時、僕、自分のことをお父さんの会社の同僚だって言ったような気がするんだけど……あれ、実はウソなんだ」
「………」
「でも、お父さんと僕は……ある意味同僚みたいなもんだ。同じ会社に勤めてはいなかったってだけでね。お父さんと僕は……同じ仕事をしていた。まあ……お父さんが生きていらっしゃった頃は、まだこの仕事は動き出していなかったけどね」
「………父の仕事?」
 芳雄はコタツから身を乗り出した。
「君や、君のお母さんや、お姉さんは知らなかっただろうな。だって君らは、なんでお父さんが自殺したのかぜんぜん判らないだろう?」
「………ひっでー家族」
 ドウ子がみかんの皮を丁寧に剥きながら口を挟む。
「最近は下火になったけど……一種のベンチャービジネス。そんなことを、僕とお父さんは考えていた……ところで芳雄くん、将来は何になりたい?」
「………え……?」
 意表をつく質問に、芳雄は思わず口ごもった。
「……サラリーマンかい? それとも宇宙飛行士? 魚屋さんになるか、豆腐屋さんになるか……君はスポーツはあまり得意じゃないみたいだから、サッカー選手ってことはないよな」
「…………」
 
 工藤が蜜柑をさらに口に放り込んで、笑みを浮かべる。そのたびに柑橘系の匂いが芳雄に漂ってきた。
「お父さんが若い頃、何になりたかったか知ってるかい?」
「……父が?」
「ミュージシャンだよ。これは知らなかったんじゃないかな。君や、君のお姉さんは。ひょっとすると君のお母さんはご存知かも知れない……でもそんなことは すっかり忘れちゃってるだろうな。お父さんは若い頃、ギター青年だったんだ。バンドも組んでたんだぜ……知ってたかい? そんな事」
「…………」
 芳雄は黙って首を横に振った。
「お父さんが好きだったのは、ニール・ヤング&クレイジー・ホースだ。僕もニール・ヤングの大ファンでね。そんなことでお父さんとはとっても気が合った よ。二人で飲み明かしながら、音楽の話をよくしたものさ……その頃は僕も君のお父さんと同じ、普通のサラリーマンだった。お父さんはほんとうに音楽が好き だった……僕も同じように音楽が好きだった……でも、二人はサラリーマンだ」ここで工藤は蜜柑をひとつ平らげ、今度はタバコに火を点けた。「……生きてい くための仕事は重要だよ。でも生きていくっていうのは……単に生活を維持していくことだけじゃない。生きていくっていうのはつまり……生活をしながら、何 かを信じることだ。まあ、まだ君にはわからないだろうけど」
社畜はつらいねえ」
 ドウ子がまた茶々を入れる。
「……僕とお父さんを引き合わせたのは、このドウ子ちゃんだ」

 そう言って工藤はタバコを持っていない手でドウ子を指差した。
 ドウ子は気にすることなくきれいに剥き終えたみかんをひとつ、口に運ぶ。

「……ドウ子ちゃんを僕に紹介してくれたのは、お父さんだよ」
「つまりコバちゃん……あんたのお父さんと、工藤ちゃんは“穴兄弟”。あはは……ってことは芳雄くんは工藤ちゃんの甥っ子、ってことになっちゃうね」
「じゃあ芳雄くんとドウ子ちゃんは“姉弟”か? ……あっはっは、なんだか複雑だな」
「………ぜんぜん話が見えてこないんですけど……」
 芳雄は小さな声で呟いた。
「ああ、ごめんごめん」工藤はタバコをもみ消す。「……お父さんは、僕にドウ子ちゃんを紹介してくれた……その時はもう、死ぬことを決めてたんだろうね。 いや、はっきりしたことはわかんないよ。でもある日、僕と君のお父さんがよく飲んでいた小さなスナックに、お父さんはドウ子ちゃんを連れてきた。あの時は なんだか……いや、今思えばのことだけど……“娘をよろしく”って感じだったなあ……お父さんが死にたがっていることはよく知ってたけど……僕にはまるで そのつもりはなかった。でも、世の中、個人主義だろ? 飲み仲間が死のうとしてたからって、それを無理に停める権利なんて僕にはないよね」
「……あたしはどっちでも良かったんだけどね」とドウ子。
「……お父さんが死にたがっていた理由は、僕にも完全にはわからないよ。でもお父さんはいつも、こんな話をしていた。……“この日本では、年間 30,000人もの人間が自殺してる……それに加えて、年間70,000人の人間が行方不明になっている。合計10万人もの人間が、この日本から居なく なってるわけだ……俺は今死にたがっているけど、おれはただ単にその10万人に加わるだけでいいんだろうか……?”ってね」
  
 ドウ子から何回か聞かされた話だった……ドウ子から聞かされたとき、芳雄はその言葉にそれ以上の意味を感じることは無かった。
 しかし、それは父の言葉だったのだ。そして、父はその10万人のひとりになった……。

「……僕は、それを聞いて気づいた。」工藤が続ける。「確かに……10万人ってのはすごい数だ。戦争をしている国だって、それだけの人間は死なない。つま り、この日本ってのはどこの国を敵に回しているだけではないのに、勝手に国内だけで戦争をして、勝手に戦死者を増やしてるんだ………それはものすごくもったいない事だ。そう思わないかい?」
「………もったいない?」
 芳雄は工藤の目を見た。
 ドウ子と同じ、ガラス玉のように透き通った目。工藤は次の蜜柑に手をつけた。

芳雄!?見てるか??…………父さんだよ!

 テレビのスピーカーが叫んだので、思わず画面を見る。
 父は画面に向かって、ドウ子の愛液で濡れ光った二本の指を突き出していた。
 画面を見ているドウ子は、視線を芳雄に移すと、また意地悪そうな笑みを浮かべる。
 「ねえ………このビデオで何回抜いた?
 
 工藤が何個目かの蜜柑を剥きながら続ける。

 「……僕はそれで考えた……そうして君のお父さんに言った。『確かにそうだ……それだけの数の人間が絶望してるんだ……その10万人がただ自殺するだけではなく、最終的には死ぬ覚悟で人生に何か最後、大きなことを するんだったら………これはものすごいパワーになる。誰も彼もがこの日本社会で雑巾のようにボロボロにされ、家畜のように死ぬまで働かされて、最後は噛ん だ後のガムみたいに吐き捨てられる。でも、我々はボロ雑巾でも、家畜でも、噛み捨てられたガムでもない……』どうかな、僕の話、わかるかな?」 
「………」
 芳雄は答えなかった。一体この話はどこに行き着こうとしているのか?
「……ただこの社会にボロボロのグタグタにされた、純粋な被害者とし てこの世の中からフェードアウトするなんて、それじゃあ人生は悲しすぎるじゃないか。それならば、死ぬ前に何かを遣り残したい。何かを遣り残すったっ て……サッカー選手になってワールドカップに行ったり、ガンの特効薬を発明するようなことじゃないよ。そんなことは無理だからね………ミュージシャンにな りたいとか、作家になりたいとか、野球選手になりたいとか、そんな夢を抱えながら自分の思い描いていた人生とはまったく違う人生を歩まされて……くたくた に疲れきった人間が最後にすることといったら何かな? ……自殺以外に」

 芳雄の頭に、樋口の顔が浮かんだ。
 しかしあの樋口が自動小銃を乱射している姿だけは思い浮かべることができないが。

………消え去るより、燃え尽きたほうがまし
 ドウ子が低いトーンで呟いた。
「君の後ろに、二つ段ボールがあるだろう?開けてごらんよ」工藤が言った「……まず、青いテープを貼ったみかん箱のほうから」

 

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