童貞スーサイズ
第二章 「ウェルカム・トゥ・ニルヴァーナ」
■第14話 ■ ボーイ・ミーツ・ガール・アゲイン
「こ のホテルの921号室取っといたんで、先に部屋に入って、待っててくれる? ……お客さんは、“大柳さん”って人。あんたにちょうどいいわ。お得意さんだ から、薬も持参してくれるし、勝手もわかってらっしゃるし……うん、とりあえず、今日は“大柳さん”の言うとおりにしてくれれば、それでいいから。“大柳 さん”が直接あんたに渡すお金は、あんたのもんだからね、取っといていいよ。じゃあ、ガンバッてね」
大西に部屋の鍵を手渡されてから、芳雄は一人その部屋に入った。
ドアの左手にユニットバス。ダブルのベッドと、テーブルがひとつ。
西向きの窓の前にはお情け程度の机。なぜかベッドの正面には大きな鏡がある。
ベッドに腰掛けながら、自分のオーバーニーソックスに包まれた脚、そして鏡に映る自分を見つめて、1時間が経った。
921号室の窓から、夏の強い日差しが差し込んでくる。
気分がイライラし、心臓がドキドキして仕方がないので、冷蔵庫の中にあったミネラルウォーターを一本飲んだ。
それでも胸の高まりは収まらず、2回トイレに行った。
2回目に便座を上げておくと怪しまれることを知り、便座を下げてトイレットペーパーを三角折りにした。
とにかく先のことは考えないようにした……考えれば考えるほど、不安がつのるだけだ。
しかし心を空にしようとすればするほど、時間は長く感じられてくる。
まるでたった一人で迷子になったような気分だった。
そんな状態だったので、芳雄は一回目のチャイムが鳴った時、それを現実だと受け止めることができなかった。
2回目のチャイムで、我に返る……もう引き返すことはできない。
ドアチェーンを外し、少しドアを開けると、相手の姿よりも先に強い消毒液の匂いが芳雄の鼻孔を襲った。
消毒液の香りとともに姿を現したのは……痩せこけてイタチのような顔をした、神経質そうな男だ。
ロシアの大統領と似たような顔だが、髪は長かった。
誂えたようなぴったりした深緑色のスーツを着ており、背丈は芳雄とあまり変わらない。つまり、平均的な男性としてはかなり小柄ななようだ。
男は無表情に、ドアを押して芳雄の前を通り抜けた。
「……待った?」
そっけない声で男が言う。男はブリーフケースとコンビニの袋を手に下げている。
「………ええ……はい……それほどでも……」
芳雄はそこでも、なるべく小さな声を心がけた。
「……なんだか、君、今日がはじめてなんだって?」男は芳雄の方に顔を向けずに、スーツの上着を脱ぎながら言った。「緊張してるでしょ」
「えっ……」さっき“大西”にも同じことを言われたのだ。「……そんな……別に……」
「……おれ、大柳。君は………なんて呼べばいい?」
「えっ………」芳雄はいきなり答えに詰まった。
「………名前、ないの?」
男は……“大柳”ははじめて、馬鹿にしたような笑いを芳雄に向けた。
「……はい………名前は、ないんです」
一瞬、大柳の表情が硬くなった。芳雄はその間、大柳の目を見つめた……マネキンの目に埋め込まれたガラス玉のほうが、まだ生気がある。
やがて大柳は“大西”そっくりの、引きつったような笑みを浮かべた。
「そうか、君も名無しかあ……」大柳がアタッシュケースをベッドの上で開く。「君も、ドウ子ちゃんって訳か」
「………はい、まあ……」
大柳が荷物をベッドの上に広げる。
芳雄は開かれたアタッシュケースを見た……おびただしい数の薬のタブレットと、プラスチックの瓶がぎっしりと詰まっていた。
水薬や、軟膏らしいものもあった。
どれもこれも、市販の製品には見えない……この男は薬剤師かなんかなのだろうか? と芳雄は思ったが、聞くのはやめておくほうが賢明だろう。
男はさらに、冷蔵庫からオレンジジュースを、戸棚からグラスを二つ取り出し、ベッドに戻に腰を下ろす。
芳雄はベッドの前で立ち尽くしたままだった。
「君、お酒だめ? いけるくち?」
ビニール袋から、安物のウォッカの瓶を出して大柳が言う。
「……あ、はい………いや、そんなには………」
大柳は窓際のテーブルをベッドの腋まで引っ張ると、開いたアタッシュケースの横に、ベッドに対して垂直に腹這いになった。
そして、自分のためにウォッカをグラスになみなみと注ぎ、芳雄のためにオレンジジュース6:ウォッカ1くらいの薄いスクリュー・ドライバーを作った。
「来なよ」
大柳が芳雄に、ベッドに来るように即す。
芳雄はおずおずと大柳に近づき……開いたアタッシュケースを挟んで、ベッドに腹這いになった。
早くも大柳はテーブルの上に、タブレットから白い錠剤を取り出して並べていた。
自分の前に25粒、芳雄の前に15粒。
さらに大柳は違う薬をそれに加えた。オレンジ色の、白の錠剤よりも少し大きな錠剤だ。
それを自分の前に7つ、芳雄の前に3つ。最後にブルーの細長い錠剤が加えられた。
大柳に10錠、芳雄に5錠。芳雄は自分の目の前に薬が次々と並べられていくのを、じっと見つめていた。
「乾杯」
大柳がウオッカのグラスを捧げた。
「か……乾杯」
芳雄も自分のグラスを持ち上げ、かちん、と大柳のグラスに合わせた。
大柳が白い錠剤を二粒口に放り込み、ウオッカで流し込む。
芳雄は錠剤をひとつ口に含み、ほとんど酒の味はしないが、ただのオレンジジュースではない飲み物で流し込んだ。
それからは、まるで小鳥が餌を取るように錠剤をポリポリ噛みながらそれをグラスの中身で流し込む、退屈な時間が続いた。
大柳はまんべんなく3種類の錠剤を片づけていった……芳雄もそれに倣って、多少違和感はあるもののオレンジジュースの味がするその飲み物で薬を流し込む。やがて大柳は、仰向けになって目を閉じた。
「ああ……」大柳が溜息をもらしながらえび茶色のネクタイを緩める。「……どう、どんな感じ?」
「別に………なにも変化はないれすが………あれ?」
いつの間にか、呂律が回らなくなっていた。
「気持ち悪くない?」大柳が目を閉じたまま聞く。「気持ち悪かったら、トイレで吐いていいよ」
「まだ……大丈夫れす………あっ」テーブルにグラスを置こうとしたら、手が滑ってグラスが床に落ちた。「おろしちゃった……」
ますます呂律が回らなくなっている。
大柳が目を開けて寝返りを打ち、芳雄のグラスを拾い上げた。
大柳は……かなり散漫になってはいたが……抑制された動きで芳雄のグラスに新たにオレンジジュースとウォッカを注ぐ。
「ほら、カンパーイ……」
「えへへ……かんぱーい」
カチン、とグラスが立てた音がひどい低音に聞こえた。気にせず、芳雄は飲み物をごくごくと流し込んだ。
味から察するにその濃度の比率は……前よりかなり酒が勝っているようだ。
しかし、それはするすると芳雄の食道を通ってゆく。みっともなく、むせるようなこともなかった。
芳雄も仰向けになって天井を見た。
ゆっくり、確実に……天井が時計回りに回りはじめた。
(うわあ……すっげえ……ふしぎ……)
生まれて始めて「回る天井」に見とれていると、芳雄の視界に、ぬっと大柳の顔が割り込んできた。
「キスしていいかい……?」
大柳が囁く。重低音で。
そんなセリフが全く似合わない醜男が何言ってやがる、と芳雄は吹き出しそうになったが、それは面白そうな提案にも思えた。
………熔けていくような陶酔の中で、芳雄は言った。
「……いいよ……」
芳雄は、そっと目を閉じて、唇の先を捧げるように突き出した。
大柳が唇を重ねてくる。
思ったより、柔らかくて冷たい唇だった。そして、芳雄の口の中に、舌が入ってきた……同じように、冷たい舌が。
よく考えてみると、これが人生最初のキスとなった。
フェラチオはマリアにされた。樋口には、尻を犯されそうになった。愛には、あわや童貞を奪われるところだったが、手で許してもらえた。
これだけのことをここ数週間で経験しておきながら、キスははじめてだった。
さて、その感想だが……芳雄がこれまで思い描いていたものとは、全く違っていた。
相手が大柳でなければ、それは素晴らしいものだった。
「んん……」
芳雄はしっかりと目を閉じて、口の中を這いずり回る大柳の舌の感覚だけに集中しようとした。
そうすれば、醜男の舌を自分が受け入れている、という現実を忘れることができる。
そんな余裕が出てくるまでに……芳雄の感覚は深く、深く沈み込んでいた。
舌を絡めとられ、唇を甘噛みされる度に、身体の芯から奇妙な痺れがズキン、ズキンと襲ってくる。
これまで感じたことのない感覚だった。
ただ唇と唇を合わせるだけの行為に、なぜ誰もがあんなに魅了され、それを求め続けるのか、理解できたような気がした。
「んっ……」
思わず、鼻に掛かった息が漏れた。
大柳は芳雄の唇を離れて、相変わらず冷たい唇で、芳雄の耳や首筋を擽る。
その度に芳雄はベッドの上で跳ねた。
先日、トイレの中で受けた、樋口による荒々しい愛撫もそれはそれで悪くはなかったが……今日の感覚はそれとは全く違っていた。
目を閉じてさえいれば……どこまでも切なく、甘い感じが込み上げてくる。
愛から受けた強引な愛撫とも違う。これはまるで、赤ん坊だった頃に母に寝かしつけられたときのような感覚だ。
鏡を見ながら、自分は女の子に見える、見えるんだと言い聞かせていたほんの数時間前が、まるで夢のようだ。
まさに、芳雄は自分の中にある、女の部分に辿り着きつつあった。
「………あっ………んっ………」自分の口から出る余りにも艶めかしい声に、芳雄はさらに煽られた。「………うっ………んんっ……」
大柳はそのままブラウスの上から、芳雄の胸を愛撫し始めた。
ブラジャーはしているが、そこに中身が詰まっている訳ではない。
やばいかな……と芳雄は思ったが、もはやどうでもよくなっていた。
ブラウスのボタンを上から二つ外されても、気にならなかった。
大柳の乾いた手が、服の上を下半身へと滑っていく。
「なんだこれ?………おいおい、君、ついに正体をあらわしたな」
笑いながら大柳が言った。
目を閉じていた芳雄は、薄目で自分の下半身のほうを見た。
固くなった性器が、スカートの布を持ち上げていた。驚くほど、勢いよく。
それは、完全に勃起していた。
しかし大柳は、さして驚いた様子でも怒っている様子でもない。
それどろか大柳はスカートの中に手を入れると、姉のお気に入りのパンツを突き破りそうになっていた芳雄の性器を、そっと握った。
そのまま上半身だけで、芳雄の胸を這ってくる……まるで蛇のような動きで。
「……気持ちいいの?」
大柳が芳雄の耳元で囁く。ずーんと、耳の中から脳を揺さぶられるような声だった。
「………ん………うん」
肉体的にはもちろん精神的にも完全無防備となっていた芳雄は、素直に頷いた。
素直になればなるほど、女の部分に近づいていくような気がした。
「そうかあ……気持ちいいんだ……スケベなんだね、こんなに可愛い顔してて……ほら、こうするとどう?」
ブラウスの中に忍び込んでいた大柳の指が、芳雄の乳首の先を撫でる。
「んっ……き、気持ちいい……」
「………君、ほんとうにいやらしいね……変態なんだろ?」
大柳が囁きながら、姉の下着越しにゆっくりと性器をしごく。
「ああっ…………うっ………ん」
腰が浮いていた。大柳が手の動きを止める。
「もっとしてほしい?」
大柳がぞっとする笑みで芳雄の顔を覗き込んだ。
そこまで許してしまっていいものだろうか。芳雄は朦朧としながら、一応は考えてみた。しかし、今はやはりその答えしかない。
「も………もっとし、て……もっと」
思考が急降下する。
ベッドの中に自分の躰が液体のように染み込んで、そのままベッドの下の床へ、床をすり抜けて下の階の部屋へ、落ちていきそうな気がした。
つ、ついに、ここまで来ちゃった……芳雄は思った。遠くまで遠泳しすぎて戻り方を忘れたように。
しかし、心は妙に爽やかだった。
その時、部屋のチャイムが鳴った。
大柳が舌打ちをして芳雄から離れる。
「ええっ……」
思わず芳雄は大柳に追いすがるように上半身を起こした。
大柳はベッドを降り、ふらつく足取りでドアに向かった。
ドアが開けられる音。
「……いい感じ?」
遠くで響くようだが、聞き覚えのある声がした。金属的なあの声。
「うん、バッチリだよ……せっかく、いいとこだったんだけどなあ……」
「お楽しみのところ、ジャマして悪いね。変態」
また同じ、聞き覚えのある、別の声がした。少しハスキーな、懐かしいあの声。
しばらくして大柳に続いて、二人の来客が姿を現した。
あのトンボメガネの“大西”と………あの少女……名前のない少女……ドウ子だった。
今日、ドウ子は父が遺した動画の中と同じ、白いブラウスに紺のスカート姿、黒いハイソックス姿だ。紺のネクタイもきちんと締めている。
芳雄は夢を見ているんだ、と思った……こんなに幸せなんだから、幸せな夢を見てもいいはずだ。
少女はベッドで服を乱されて恍惚の表情を浮かべている芳雄の姿を見て、満足そうに笑みを浮かべた。
「……久しぶり……」ドウ子が言った「……へええ。ニクタラシいくらいに可愛いじゃん、あんた……ムカツク」
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