無き世界に In a World Without Love
〜中国自動車道中1少女手錠放置死事件〜

第二章「手
の男」

妄想:西田三郎

■2004/11/17 (水) 第二章 〜手錠の男 1

「タイーホ」

※この物語は、実話をもとにしたフィクションです。8割7分くらいまでが妄想です。

 2001年9月8日、兵庫県香隅町(仮名)、午前7時ごろ。
 
 「九九本健さんですね?兵庫県警有馬警察署の者ですが…」
 
 そういって捜査官は警察手帳を開いて身分証明書を見せました。
当時、警察官の身分を証明するのは、現在のようなバッジの提示ではなく、警察手帳内に収められた身分証明証を見せることで行われました。なんでバッジに代わったかって?…さあ、格好いいからではないでしょうか。

 その男、九九本ケン(仮名:当時34歳。以下、ククケン)は愛車である茶色のトヨタハエースワゴンで、誰も待つ人のないアパートの自室に朝帰りをしたとことろでした。ククケンがなぜ朝帰りをしたのか…?いつものように大阪のテレクラまで出かけていたのでいたのですね。

 ククケンの顔はみるみる青ざめていき、彼を捕まえに来た係官も少し気の毒になったくらいです。

 かくしてククケンはワッパをその手首に掛けられることとなるのですが、たとえその日、係官全員が手錠を持ってくるのを忘れたとしても…有り得ないことだとは判ってますが…べつに不便は無かったことでしょう。
 何せ、ククケンの愛車内には、数種類の手錠が常備されていたからです。

 その他ロープ催涙スプレービデオカメラなどもあり、いつでもどこでもレイプが出来るよう、万全の態勢が敷かれていた様子。
 
 そう、ククケンこそが、2001年7月24日午後10時半、中国自動車道下り線、西宮インターチェンジから約50キロの地点で、当時12歳だった少女、土家ノノ子たんに手錠を掛け、走行中の車から落下させ、何の緊急処置もせずに放置してトンズラ、死に至らしめた鬼畜王でした。

 ククケンのところに警察がやってきたのは同年の9月8日。
 この事件があまりにも異様な事件として記憶されるのは…被害者のノノ子たんはまだ12歳の女子中学生であり…加害者のククケンは中学校の教師だった、という事実のせいでした。
<つづく>


■2004/11/18 (木) 第二章 〜手錠の男〜 2 

「Things can not happen」

※この物語は、実話をもとにしたフィクションです。8割5分くらいまでが妄想です。

 まったく何ということでしょう

 ちゅうがくせいの少女とテレクラで知り合い、その手に手錠を填め、あんなことやこんなことをして車から蹴り出し、死亡たらしめたその下手人が、中学教師だったなんて。
 
 話が出来過ぎです。
 フィクションならこんな結末だと赤点です。
 しかし既に起こってしまったものは仕様がありません

 いや、仕様がない、で済ませてしまちゃあほんとはいけないのですが、何をしようとノノ子たんは生き返りませんし、ククケンの唾棄すべき忌まわしい罪は消えません。
 たとえば遠山敦子文部科学大臣(当時)がこの事件を受け、こんな発言をしたとしても。
 
 「子どもたちを守る立場にある教師が逮捕されたことは、全国の子どもたちや保護者の教師や学校に対する信頼感を大きく損なうもので、あってはならないことだ
 
 あってはならないこと、というのは日本人がよく使う表現ですが、英語で言うと“Things can not happen”…“Eyes wide shut”みたいな、どうも座りの悪い言葉です。
 たとえばこの表現は、原子力発電所の設備老朽化が進んでいたにも関わら放置しつづけていた責任者や、米国産の牛肉を和牛であるかのように偽装していた精肉メーカの重役などが謝罪の記者会見などでよく用いる表現ですが、ニュアンスとして、
 
“確かにわたくしども責任者の罪は重大ですが下々の者の不手際一切を責任者のこのわたくしどもが確認するわけにはいかず、わたくしどもの全く知り得ないところで顔も見たこともないような部下が犯してしまった過ちなんですよ、つまるところわたくしの責任は間接的なものでありそんなにわたくしどもを悪者にしないでくださいよねえ社長さんあんたもそういうことあるでしょ?

 という意味合いで使われる言葉であり、遠山大臣がそう発言したのはこの事件をまるで他人事と考えているからに他なりません。
 
 いや、だからといって…遠山大臣を責められるでしょうか?
 だって他人事ですもの
 
<つづく>



 
■2004/11/19 第二章 〜手錠の男〜 3 

「どんと、すたんど、そー、くろす、とぅー、みー」

※この物語は、実話をもとにしたフィクションです。8割5分くらいまでが妄想です。

 遠山大臣はこうも発言しています。

 「わいせつ行為で懲戒処分を受ける教師が増えており、各教育委員会は教師一人ひとりに服務規律を徹底するよう指導するとともに、指導力に適切さを欠く問題のある教師に対しては、対応をあいまいにせず、新たに法律を改正して、導入した教師以外のほかの職に転職措置をとるなど厳正に対処してほしい」
 
 こうなりますと、もはやもうこの事件とは全く関係ないですね。

 逮捕されたククケンの職業は教師でしたが、後述しますある理由のため、事件当時は休職中でした。
 さらに言うならククケンは自らの職場で犯罪行為を犯したのでもなければ、殺されたノノ子たんはククケンの教え子ではありません。
 また、殺されたノノ子たんにとっては、「わいせつ行為で懲戒処分を受ける教師が増えて」いることや「各教育委員会が教師一人ひとりに服務規律を徹底する」ことなど知ったこっちゃありません
 遠山大臣は逮捕されたククケンが中学教師だった事に反応し、何か自分も責任を担っているかのような素振りを見せようとしましたが、言わばこれは過剰反応であると言えるでしょう。

 では、たとえばククケンが大工だったら日本大工協会は責任を感じますかね?
 蛇つかいだったら日本レッドスネーク振興会は謝罪会見をするのでしょうか?
 
 では、ククケンの職業が何であったら“あってはならないこと”ではないのか?例えば教師だったら“あってはならないこと”で、工員だったら“あっても不思議でないこと”になるわけですか?

 教師のわいせつ犯罪に関しては後でじっくり触れることにしたいと思いますが、この当時の遠山大臣の発言は、ピンボケであるどころか、わたしの神経を大いに逆撫でました。だって、教師は職場でハレンチ行為をしても、次の就職先まで決めてもらえるというのですよ?それこそ“あってはならない”ことなのではないでしょうか。

<つづく>




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