大人はよくしてくれない
作:西田三郎
■第十章 大人はよくしてくれない「とにかく、探せ!!どっかにある……」
イソヤマの巨体……少なくとも、息をしているようには見えなかった……を踏まないように浴室を出るのは難しかった。浴室内の床にはガラスの破片が散乱 して いたからだ。しかし、よく考えてみるとイソヤマの身体を踏みつけることに、どんな罪の意識を感じる必要があるのだろう……?
足には今もあの、“ぶよっ”と腐った果物を踏み潰すような感覚が残っている。
しかしそのおかげで、足を傷つけずに済んだ。
卓郎はぼんやりとしていて、夢からまだ覚めていないようだった。
なんとかちあきに服を着させ、自分も服を着て、二人で部屋中を探し回った。ちあきははじめ泣いていたが、今は普段の落ち着きを取り戻したようだった。 今は 押入れの中を引っ掻き回す悠也の背後で、衣装ケースをひっくり返している。二人は黙々と部屋を荒らし続けた。「あかん、お兄ちゃん、ここにはないわ」
「よっしゃ、ほな、台所や」
「うん」ぴょん、ぴょん、と跳ねるようにビニールを敷き詰めた床の上を走るちあき。
床はまだ一部が濡れて、汚れていた。その水溜りの上を、ちあきは事もなげに飛び越えた。
ちあきが台所のシンク下を引っ掻き回す音を背中で聞きながら、悠也は押入れのガラクタをひとつひとつ確認していった。それにしても……押入れの中はお ぞましいガラクタだらけだった。扇風機やストーブなど、それなりにまともなものもあったが、信じられないような数のポ ルノ雑誌の束にDVD、一体、どうやって使うのか想像もつかないようないかがわしい玩具の 数々。イソヤマが使用していたものだとわかっているので……特に男性器を模したものは……手を触れるのに怯みそうになったが、そんな場合ではない。
とにかく探し、探しに探した……。
探していくうちに、イソヤマが撮影したらしい大量のエロ写真も見つかった。撮影場所はみんなこの部屋だった。若い 女を写したものも、かなり歳のいった女を写したものもある。ちあきや自分とたいして変わらない年齢の、少女や少年の 写真もあった。ある者は巨大な腹越しに陰茎をくわえたまま撮影者……まあイソヤマだが……を見上げている。ある者は、腹の上に乗っかって、カメラを見 下ろしている。ある者はさっき見かけた玩具のいずれかで攻められており、ごく一部の者は……それは自分と同じ歳くらいの少年だっ た……その器具を手に取り、逆にイソヤマを攻めていた……嬉々として……思わず、身震いがした。
いや、しかし今はそんな場合じゃない。「あった!!お兄ちゃん!!!あったで!!!!!」
ちあきの歓声で我に返った。
振り向くと台所の板間の上にぺったりと座り込んだちあきが、満面の笑みでくしゃくしゃの札の束を両手で鷲掴み にしていた。素足の膝元には、たくさんの薬のタブレットが散らばっている。「よし、ようやった!!」押入れから顔を出して叫んだ。「なんぼある??」
「いち、にー、さん、しー……」ちあきが札を銀行員のモノマネのような手つきで数える。「すごい!!ぜんぶで、えーっと……35 万もある!!!」
「兄ちゃん……」部屋の隅から、出し抜けに卓郎が言った。「……もう、帰ろや。眠いわ」
「……タク、もうちょっとしんぼうしい!!!」ちあきが厳しい声で言う。「……お兄ちゃん、押入れは??」
「……今んとこ何もない……けど、ちあき、そこの薬も一緒にもらってくぞ!!」
「え、お兄ちゃん、薬なんかどないすんの??」
「売れるかもしれへん!!!……それが、カネになるんや!!」
「……どないやって売るん、こんなん……うちらが……それはムリやわ」ちあきが力なく笑う。
「それに、ドロボーやで、それ」卓郎が正論を挟んだ。「ド ロボーはあかん、て、おかんが言うてたで」
「タク!」悠也は押入れから飛び出した……勢いで、ビニールの上の水溜りに滑った。
卓郎が笑う。ちあきも笑った。
しかし悠也は身を起こすと、卓郎の目をじっと見てから笑いを鎮めた。
「……ええか、タク。確かにいま、おれらがやってることはドロボウや。」 一言一言を、はっきり自分にも聞き取れるよう、声に出してみる。「でも、生きるためには、仕方のないことや。おれらは、生きていかなあかん。誰の助け も借 りずに、おれら兄弟3人だけで……それは、並大抵なことやない。誰も守ってくれへんねんやったら、自分らだけで生きてくしかない」
「でも、これまでも……おれら3人でやってきたやん」タクがあくびをしながら言う。
「タク……」一瞬、ちあきの方を見た。冷たい目だった。何らかのサインを、送っている。
“どうせ、タクにはわからへん”と言っているようでも“もう、放っとこうや”と 言っているようだった。
あるいは、“もう、ここに残していこか?”と言ってるようでも、“もう、この子も殺してまお か?”と言っているようでもあった。いや、何だってあり得る。こんな夜だ。誰が何を言い出しても不思議ではない。しかし、悠也は言葉を続けた……ほとんど自分のために。
「ただ生きていくだけやのうて、どうせ生きていくんやったら、タクかて豊かに生きてくほうがええやろ?…… な、タク。そやろ?……コンビニの残りと、ケンタッキー、どっちがええねん? 生きていくために食べるんやったら、どっちがええねん??」
「………」卓郎が下を向く。「…………ケンタッキー」
「そやろ、そやから………」
「きゃあああっっ!!!」台所にいたちあきが、突然大きな叫び声を上げた。
「おっちゃん……」卓郎がぽかん、と口を開けて呟く。卓郎は明らかに、悠也の背後を見ている。
恐る恐る振り返ると……一番恐れていたものが恐ろしい想像どおりの姿で立っていた。イソヤマだった。
上半身全体が、血に塗れていて、全裸のままだった。
全身に固まった血は赤黒く変色しており、新たに流れ出した血は床に新たな血だまりを作っていた。
悠也は悲鳴も上げられなかった……。卓郎と同じように、ポカンと口を開けたまま、2本の足で立っているイソヤマの姿を成すすべもなく見つめていた。イ ソヤ マの血まみれの尻の向こうでは、ちあきがシンクの下に背中をぴったりつけてのけぞっている。ちあきは目をこれ以上ないくらい見開いていた。
イソヤマは何も言わず、何もせず、そのままずっと立っていた。
誰もが、瞬きひとつしなかった。
部屋は絵画のように静止していた。やがて……イソヤマはゆっくり、ゆっくりときびすを返し……ちあきが、「ひっ」と短い悲鳴を上げた……のその そと歩き始めた。その様はゾンビそのものだった。ぺっ……たっ……ぺっ……った……っと いう足音は、まさに怪談そのものだった。イソヤマは台所にいたちあきのことに目もくれなかった。そのまま、ガチャリと玄関ドアを開けると、裸足、全 裸、血だるまのまま……部屋を出て行った。
そのまま、悠也、ちあき、卓郎の3人は、写真のように固まり続けた。
沈黙を破ったのは、卓郎のあくびだった。
「……どうすんの……」ちあきが震える声で言った。「……うちら、どうなるん?……」
「…………」悠也は答えなかった。
「……逃げる?」
「………いや……」悠也は首を横に振る。「……もう……ええやろ」
「どないなんの……うちら」
「……大人がどないかしてくれる」悠也は答えた。「大人が、うまいことしてくれるは ずや」
「……もう、帰って寝ようや、兄ちゃん」
卓郎が、大きなあくびをすると同時に、外からイソヤマの姿を見かけたであろう誰かの、マヌケな悲鳴が聞こえてきた。(了)2011.11.22
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