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童貞スーサイズ
第一章 「ザ・ガール・ウィズ・ノー・ネーム」



■第10話 ■ ニルヴァーナ・ドットコム

 夢を見た。
 あの少女の夢だ。

 ラブホテル『いのこりラッコ』の前で、あの少女が去っていく寸前に交わした会話の夢。
 「……お前は、何なんだよ。誰なんだよ。名前はなんてんだよ」
 芳雄の問いに、少女が冷たく笑って応える。
 「……名前は……ないの。じゃあね」
 シニカルに笑って手をふりほどき、夜の闇の中に走っていく少女。
 少女は全裸だった。くせ毛の下の、か細い上半身。背中には肩甲骨が翼のように浮き、背骨がまっすぐに浮き出している。
 その下には、少年のような……まるで自分のものとたいして変わらないような小さな尻は、張り詰めていて揺れさえしない。
 芳雄は少女の跡を追いかけようとした……と、そのとき、自分もまた全裸で、薄い陰毛と包皮に包まれた陰茎を晒していることに気がついた。
 
 芳雄は背中を蹴る足の感覚で目を覚ました。まだ明け方だ。
 見上げると、視線の上30センチのところに女の顔があった。
 あの女だ。セーラー服から、グレーのトレーナーの上下に着替えている。
 女は半眼で芳雄を見下ろしていた……芳雄は恐ろしくなって、一気に眠気を覚ました。

「あたし、愛」女がぶっきらぼうな口調で、口を尖らせて言う。「あんたは?」
「え? ……ああ……あ、名前ですか」芳雄は身を起こした。「芳雄……小林芳雄といいます」
「ふうん」
 女はそのまま芳雄の前に、ぺたん、と腰を下ろす。
 そしてそのまま、タバコに火をつけた。
 女は身近なゴミの中からジュース缶を取り上げると、それを灰皿の代用にした。
「あのクズに聞いたんだけどさ……」女が、部屋の隅でまるで胎児のような格好で眠り込んでいる樋口を指さす。「例の、“心中少女”を探してるんだって?」
「……“心中少女”? ……なんです、それは。そ、そんな名前で通ってるんですか? 彼女?」
 慌てて身体を起こす。前のめりになって、女に顔を近づけていた。
 女が、ニッ、と笑う。芳雄の食いつきぶりが面白かったのだろう。
「別に有名って訳じゃないけど、知らないこともないこともないよ」険を失ったその笑顔は、ふしぎと魅力的だった。「……教えたげよっか?」
「何か、ご存じなんですか?」
「うん」女は自分の膝小僧を抱いて、ゆらゆらと揺れている。「ところで……あんた、よく見るとすっごく可愛いね」
「えっ……」
 昨夜、駅のトイレの個室で、樋口から同じようなことを言われたことを思い出す。ぞっ、と背中に冷たいものが走った。
「ねえねえ……歳いくつ?」
「……じゅ、14です」
「へええ……最近の男の子は……みんな可愛いよね。肌もきれいだしさ……あんた、まるで女の子みたいじゃん」
 また、ぞっとする。同じようなことを、樋口にも言われた。
「そ……そうですかね……そうかな」いや、恐れている場合ではない。聞かなくては。「ところで、その“心中少女”っていうのは………」
「そんなに焦ることないじゃん……コーヒーでも飲む?」
 女が“よっこらせ”と言いながら立ち上がる。
「い、いやお構いなく……じゃなくて……は、はい頂きます」
 
 やがてキッチンから戻ってきた愛は、実に不衛生なマグカップを二つ手に、芳雄の前に座り直した。
 愛が差し出したマグカップを見たが……口を付けるのも憚れるくらい汚れて、いたるところが欠けている。
 しかし、愛はコーヒーを飲みながら、カップごしに芳雄の挙動をじっと見守っている。口をつけない訳にはいかなかった。
 異常に薄く、ぬるいコーヒーだった。

「……で、その……“心中少女”っていうのは?」
 しびれを切らせて、芳雄が口火を切った。
「ああ……そうだ、“心中少女”ね……それはね、あのクズ(女は顎で樋口を指した)のお気に入りの、変わったデートクラブの女の子だよ」
「デ、デートクラブ?」
 改めて驚くほどのことでもなかった、と後に芳雄はこのときのことを思い出すことになる。
「うん、多分、あたしが居ない時にネットで見つけたんだろうけどさ、あのクズ、無収入の癖に、しょっちゅうそこからお気に入りの女の子指名してやがんの。まったく、ふざけんなって感じだよね」
「は、はあ……」
「そーいうのってさあ……いろいろあるんだよ。小学生の女の子ばっかり紹介することろとかさ、SM専門とかさ、あと、男が自分でオナニーしてるとこを女の子に見て貰うだけのやつとかさ……まあ、そーいう、変態向けのデートクラブのひとつだね。かなりアングラな部類だけど」
「い……一体、何をするんですか?」
 いつしか、喉がカラカラに乾いていた。いくらカップが汚くても、コーヒーが薄くてぬるくても、啜らずにおれなかった。
「女の子と二人でホテルに入って、セックスして、二人して睡眠薬ガブ飲みするんだって……死ぬ寸前・ギリギリまでね。それで、相手の女の子と心中したような気分を味わうんだってさ。一体それのどこが面白いのかわかんないけど」
「………」
 芳雄は何も言えなかった。
 父は、そうした常人には理解の及ばない遊びの果てに、『ギリギリの寸前』というやつを超えてしまったのだろう。
「まあ、あたしも人のこと、とやかく言えた立場じゃないけどね」
「はあ、あの……」純粋な好奇心から、芳雄は聞いた。「その……チャットレディって、何するんですか?」
「ああ、ネットでね、アクセスしてくる男とチャットしながら、パソコンカメラの前でオッパイ見せたりオナニーしたりすんの。あたしさ、風俗って絶対イヤなのね。ちょくせつ知らない男に触られたり、触ったりすんのがさ……こう見えて、すっごく潔癖症なの。だから、あれでなんとか稼いでんの」
「はあ……」
 いろいろなものがこの世界にはあるものだ。この12時間で、芳雄はとても多くのことを学んだ気がした……が、それはまだ終わっていなかった。
 
 と、そのとき、芳雄の身体を……急速な変化が襲った。
「あ、あれ……?」
 心臓の鼓動が早くなり、全身から汗が滲んでくる。
「ん? どした?」
 ニタリ、と笑った愛が、芳雄の顔を覗き込む。
「へ……へんだな」
「……だいじょーぶうう?」
 愛が意地悪な笑みを浮かべながら、芳雄の目の前で指をくるくると回す。トンボを捕まえるときのように。
「な、なんだか………」体中の血液が、下腹を目指して集中する。心臓の鼓動はますます早くなった。「ちょっと……これは……」
「……どう? どんな気分?」
 愛が身を乗り出して手を伸ばし……芳雄の頬を両手で包んだ。
 その手は氷のように冷たかった。芳雄の頬が、あまりにも熱くなっていたからかもしれない。
「コ、コーヒーに………な、何か入れましたね………?」
ぴんぽん」女が言った。

 まったく、樋口とこの女、愛……ほんとうにお似合いのカップルだ。
 つまりそうすると、12時間以内に2種類の非合法薬物を摂取したことになる。
 それにしても……今回の飲まされたものは一体何だろう?

「すっげー効き目。やっぱ、若けりゃ若いほど、効くみたいだね、この薬」
 そう言って愛は、芳雄のジーンズの前を撫でた。
「あんっ……」
 昨夜に引き続き、また妙になまめかしい声を出してしまった。
 どうやらコーヒーには、人を性的に興奮させるような作用を持つ薬物が混入されていたらしい。
「……大丈夫。コレ、後遺症とか依存性とかないから」そう言いながら愛はジーンズの上から愛撫を続ける。「ほんと、すっげー……カッチカチになってるよ、あんた……こーんなに可愛い顔してるのに……けっこースケベなんだ〜……」
 左手で芳雄の頬を、額を、鼻筋を、唇を撫でながら、女はやわやわとズボンの上から刺激を与えてくる。
「そ、そんな……」
 芳雄は愛を押しのけようとしたが、身体が言うことを聞かない。
 もっと幼かった頃、水疱瘡にかかって3日間高熱にうなされたことがある。
 芳雄はその時のことを思い出したが……今、自分の身体を襲っているものはそれ以上だった。
 
「あっ……」
 愛にゆっくりと、ガラクタだらけの床へと押し倒される。
 ジーンズのボタンを外され……愛の指が、芳雄の羞恥をはかりながらチャックをゆっくりとおろしていく。

 これで強制ワイセツ行為を、12時間に2度受けたことになる。それに薬物。
 こんな体験をした14歳の男子が、この日本国中に一体何人いるだろう?

「……気持ちいい……?」
 ズボンの中に忍び込む愛の冷たい手。
「だ、だめですっ……や、やめて……くだ、さいっ……」
 腰をよじって、愛の手から逃れようとした。しかし、そんな仕草がますます愛を悦ばせているようだ。
 下着の上から、先端を指先が這っていく。
「……あ、すごい。もう濡れてんじゃん……スケベ」
「んんっ……!」

 そういえば昨夜、樋口に公衆便所で襲われたとき……さんざん性器をいじくられたが、射精には至らなかったのだ。
 あの時の切迫感がまた“さあ、続きといこうか!”とまた帰ってくる。
 ……全身を煮られているような熱さに、天井が回り始めた。
 女がボクサーショーツをズボンごと引きずり降ろす……同じだ。昨晩と、まったく同じだ。でもこれは、デジャブではなく現実なのだ。

「やっ……だ、ダメですよ」
 芳雄は身を起こそうとしたが、たわいなく愛にまた押し倒された。
「すっごい………さっすが14歳……すっげー元気。こんなにヤバいほどカチカチになるんだ……」
 愛がため息混じりに呟く。
 芳雄は恐る恐る、下半身に目をやった。
 まるで打ち上げを待つばかりのロケットのように、芳雄の性器はぴん、と天井を向いている。思わず顔を背けた。
「……んっ……やだ……」女が性器を握り、ゆっくりとしごきはじめる。
「ねえ、して、いい?」愛は言った。「あたし、何もかもやんなっちゃた。あのクズ、もう役立たずなんだもの。なんであたし、あんなのと一緒に暮らしてんだろ……チンコが勃たないヒモなんかと……昔はあれであのクズ、すっげーセックスうまかったんだよ。ちんこでかいし。」
 それなら芳雄も知っている。
「……起きますよ……樋口さん起きちゃいますよ……あっ……」
 陰茎を扱かれて喘ぎながら、なんとか愛に訴える。
「いーじゃん、いーじゃん……ほれほれ〜……いやがってるけど、カラダは正直だよ〜……」
 愛の手がさらに早く上下し、ペニスをしごき上げる。もはや声は言葉にはならくなった。
「んんんっ……くっ………」
「起きないよ。あいつ、アモバン飲んで寝ちゃったから。3時間は、けつにトンカチでクギ打ち付けても起きないんじゃない……? あたしも薬漬けだけど、あ のクズはもう長くないね。今年持てば、いいとこなんじゃない? ……まったく、男って、なんでああなのかね。転げ落ちはじめると、転げ落ちてる自分に酔っ ちゃって、ますますダメなほう、ダメなほうに転がっていっちゃうんだから……あんたは、あんな弱虫になっちゃだめだよ」
「……だっ……だったら……」息も絶え絶えだ。「こ、こんなこと……やめてください」
「……いいじゃん、あたし、病気とかないよ。気持ちいいことしてあげよーとしてんのに……ちょっと生意気だよ、あんた」
 またでデジャヴだ。確かそんなことを、あののんきな外人娼婦、マリアが言っていた。
 愛の手が。芳雄のTシャツを胸の上までまくり上げる。
「……あんた、華奢だね。いやあ、ホント、きめ細かいキレイな肌……真っ白で、ほんとに女の子みたい」
 そう言いながら愛は、片手で器用に自分のトレーナーズボンと、ゴムが伸び伸びになったオレンジ色の下着を脱いだ。
 3枚組1000円で安売りされているような下着だ。何百回も選択され、履かれ、洗濯され、愛や樋口のようにくたびれきっている。
「……あ、あの……そ、それだけは……」
「なんでよ? いいじゃん……ドーテー、卒業できんだよ? 嬉しくない?」
 
 愛が芳雄の上に跨ってくる。そして、芳雄の性器を握ると……腰を浮かせて自らの性器に当てた。
 熱く濡れた肉に、先端が触れる。
「あうっ!」
 びくん、と芳雄の背中が弓なりに反り返る。
(もう、ダメだ……)
 芳雄はまたも観念して……つくづく自分の諦めの良さには呆れるしかなかったが……覗き込む愛から顔を背けた。
 愛が腰を落とそうとする。
「あ………」芳雄は何故か、“おかあさん……”と心の中で呟いていた。母のことなどまったく愛してはいなかったが。

 だが、女は動かない。しばらく待った……しかし、それ以上のことは何も起こらない。

「あんた……童貞捨てたくないの?」
「……え?」
 芳雄は薄目を開けて女を見た。
「……だよね……だからあんな見るからにアブナイ奴に頼ってまで、あの“心中少女”を探してんだもんね」
「………?」
 芳雄は愛の紅潮した顔を見た……そして、その顔が、ふと優しくとろけるのを見た。
「……可愛そうだから、やめたげる」愛が芳雄の身体の上から降りる。「はじめての時はやっぱり…………好きな子とでないとね」
「…………」
 どういう訳か知らないが、またしても危機は乗り越えたらしい。
「でも……このまま、ってのも……それはそれで可愛そうだよね」
 そういって愛は、再び芳雄の性器を握ると、かなり乱暴に2、3回扱いた。
「あうっ……!!」
 それだけで芳雄は、まるで雷に打たれたような快感とともに射精した。
 律動は数十秒ほど続き……それが終わったときには、自分の腹や胸はおろか、顔や前髪にまで精液が飛び散っていた。
 
 

「お世話になりました……」
 芳雄は乱雑なたたきの上でスニーカーを履きながら、この“お世話になりました”という言葉が内包する様々な意味に思いを馳せた。
 とにかく、一刻も早く日常に逃げ帰りたかったのも事実だ。
「あ、あんた」愛がゴミの中からスーパーのチラシらしいものを破り取ると、そこに何かをメモして、芳雄に持たせた。「……なんだか知らないけど、頑張ってよ」

 芳雄はそれを受け取り、愛の顔を見た。
 今気づいたが、愛はとても美人だった。朝日のせいだろうか、それとも身も心もすっきりした自分の感覚のせいだろうか……化粧家のない丸みのあるその顔は、まるで十代の少女のよ うだ。芳雄は少しどぎまぎしてしまった……この愛に、怪しからん悪戯をされたのだと思うと、ますますその気持ちは高まった。
 そして、今もこちらに背を向けて眠り込んでいる樋口の背中を見た。
 今度は……心が暗くなった。
 朝陽に照らされた愛の“生”のイメージと、樋口の背中が醸し出す“死”のイメージ。
 そのコントラストは残酷なほど強烈だった。
「じゃあ、元気でね……がんばれよ。少年」
 愛は芳雄の背中を押して部屋から追い出すと、ドアを閉めてしまった。
 芳雄が“ありがとう”を言う暇も与えずに。
 
 汚いコンクリートの階段を降りながら、芳雄は愛が渡してくれたチラシの切れ端を開いた。
 そこには“ニルヴァーナ・ドット・コム”という文字とともに、Webページのアドレスらしいものがぶっきらぼうな筆跡で書き記されていた。さらに、
 “ケンサクしてもダメ。ころころアドレスが変わるみたいだから要注意。グッドラック”

 そして、いびつなハートマークが、不揃いで不格好な文字列を締めくくっていた。



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