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童貞スーサイズ
第一章 「ザ・ガール・ウィズ・ノー・ネーム」




 ■第一話■ ヘイ、ヘイ、マイ、マイ

 父の葬儀の間中、小林芳雄は笑いを堪えるのに必死だった。

 はっきり言って、哀しいことなどなにもないのだ。
 仕事人間だった父。ほとんど家に居なかった父。芳雄と語り合ったことなど一度もない父。
 小林芳雄は13歳で中学に上がったところ……思春期に入ったところだが、そんな死に方をした父を憎んだり責めたくなったりはしなかった。
 はじめから、まるで期待していなかっただけだ。
 それにしても父は、最後の最後で笑わせてくれたものだ。
 父は睡眠薬を飲んで自殺をした。繁華街のラブホテルの一室で、見知らぬ女子校生と、心中をしようとしたのである。
 パニックに陥っている母や、その情けない死にように怒り狂う姉を尻目に、「なかなかロマンチックじゃないか」と、芳雄は笑いを堪えていた。
 笑えるポイントはまだある。
 父が心中しようとしたその見知らぬ女子校生は、死ななかったのだ。
 彼女は死にきれず……というか、もともと死ぬつもりがあったのかどうか知らないが……119番に通報。
 結果、彼女は助かり、父は死んだ。
 警察はその少女の所在や身柄に関しては、芳雄の母をはじめとする遺族に一切教えてくれなかった。
 変な話だと、芳雄も思ったが、まあ、そういうものなのだろう。
 
 棺桶に入った父の遺体を見る……なんとまあ安らかな死に顔をしていることか。
 こんな処でそんな風に感じるのも少しは気が引けた芳雄だったが、“まさに今が人生 の春”というぐらい、父の死に顔は幸せそうだった。
 思えば、生きている父の、こんな表情を見たことがない。
 生前の父は……いつも辛そうな、何かを堪えているような顔をしていた……言うなれば、大きいほうのトイレを我慢しているような顔だった。
 ずっとあんな顔をしていただけでも随分余計なエネルギーを使っていたんだろうなあ……と、芳雄は思った。
 しかし、死の寸前、父がとても幸せな気分だったことは芳雄にも判る。
 父と一緒には死ななかったけれど……その女子校生は父にほんの少しだけ、人間らしい安らぎをくれたのだ。
 母や姉は……その顔も、名前も知らない少女に対して、燃えるような怒りと憎しみを抱いているかも知れない。
 突然の父の死という出来事に、やり場のない怒りを向けるとするならその少女に対してしかないからだ。
 しかし芳雄はそんな気にはなれなかった。死んだのは、父の勝手なのだから。
  
 弔問客の一人に、背の高い、ひげ面の男が居た。
 とても無表情で、焼香のしぐさもどことなく事務的であるように芳雄の目には見えた。
 芳雄は、父の会社の同僚なんだろうな……と思った。まったく知らない男だった。
 その男が突然、芳雄に声を掛けてきたのだ。
「君が、芳雄くんかい?」
 思ったより、優しくやわらかい声だった。
「あ、……はい、そうですけど……」
「はじめまして。お父さんの友達だった、工藤といいます」
「どうも、よろしく……お願いします」
 なぜか返事がぎこちなくなってしまう。
「お父さんから君のことはよく聞いてたよ。ほんとうにお父さんには似てないなあ……美人のお母さん似かな。学校じゃあ、もてるだろう?」
「……いや、別に、そんな」
 芳雄はそんなことを言われてはにかむ性質はなかった。フン、と鼻で笑ってやりたい気分だ。
 まだ芳雄には、恋愛に対する明確な感情がなかった。
 だから自分が、異性から見てどうなのか、魅力的なのかそうではないのか、そういうことにまるで興味が持てない。
 一三歳。それは、子供時代から少年時代への過渡期であり、はじまりであり終わりである。
 アルファであり、オメガである。
「ちょっと……君に話したいことがあるんだけどな。少し、いいかな」
「いいですよ」
  祭壇の前から離れると、芳雄は工藤と名乗ったその男の後に続いて、葬儀場である市民会館の喫煙所まで突いていった。
「煙草、吸っていいかな」ベンチに腰を下ろした工藤が聞く。
「どうぞ」芳雄は立ったまま答えた。
「……ええと……どこから話すべきかな」
 煙を吐き出しながら、工藤はあらぬ方向を眺めていた。その視線の先に、父の思い出があるように。
 少なくとも工藤は、父の務めていた会社の同僚達とは違って……父の死を心から悼んでいるように見えた。
 芳雄は、肉親の死に対して、まったく悲しみを感じない自分に引け目を覚えた。そんな必要もないのに。
「僕は……お父さんと同期だったんだ。僕も、お父さんも、それほど社交的じゃないところが気が合ってね。よく二人で飲みに行ったもんだよ」
「はあ……」
 それは知らなかった。まさか父に飲み友達がいたとは。
「そんな仲だから、結構お互いの秘密なんかも話しあったりしたんだ。多分、僕は、君以上に……君のお母さんやお姉さん以上に、小林さんのことを……君のお 父さんのことをよく知ってると思う」
「そうですか」
 言われても、何の感慨もない。事実、そうなのだろう。
 父は家族の誰の興味も惹かなかった……少なくとも生きている間は。
「警察は、お父さんと心中しようとして、生き残った女の子のことを教えてくれなかっただろ? ……そうじゃないかい?」
「ええ……何も」芳雄は、こくりと頷いた。
「知りたいとは思わないかい?」
「うーん………」しばらく芳雄は考え、首を横に振った。「……その……べつに」
「………」
 工藤はしばらく無言で煙草を吹かした。じっと芳雄の顔を見つめながら。
 別に無理強いするわけではなく……芳雄が、少しでも父の死に関してまともな関心を持つのを、気長に待つように。
 無言でつっ立っているのは辛い。根負けして、口を開いたのは芳雄のほうだった。
「工藤さん、何かご存じなんですか?」
「うん……というか……お父さんがなくなる3日前……ってえと、4日前か。お父さんから、これを君に渡すように頼まれてたんだ」
 そう言って工藤は喪服の内ポケットから、長形3号の薄い茶封筒を取り出し、芳雄に差し出した。
 条件反射で、それを受け取った……封筒の中には、紙と……何か硬い小さなものが入っている。
「……ああ、現金とかじゃないと思うよ。残念だけどね」工藤が笑みを浮かべる。
「これ、何なんですか……?」
「さあ、『中を見るな』ってのも、お父さんに言われてたことだから ね。やっぱり友達としては、それを律儀に守ったよ。それで、もし自分に何かがあったら……それを君に渡してくれ、っていう約束もね」
「……遺書とか、そんなかんじのものかな」
 そんなもの、自分に渡されても困る、というのが芳雄の本心だったが、口には出さなかった。
「さあね……でも、あんまり君や、お母さんや、お姉さんにとって、喜ばしいものではないことは、だいたい想像がつくけよ……とにかくお父さんは、それを君に渡してくれと言った。だから僕は渡した。その封筒の中を見るか見ないかは、 君の自由だよ……なんなら、そのまま捨ててもいい」
「………いや、捨てる、ってほどでも」
 渡された封筒はやはり軽い。どうしようもなく軽い。
 しかし、父親が遺したものなど見たくもない、というほど、芳雄は父のことを嫌っていたわけではない。
「さて、そろそろ……僕は帰るよ」工藤が立ち上がる「あんまり、気を落とさないでね。って、そんなに落としているようにも見えないけどね」
 工藤はそう言って笑うと、会館を出ていった。
 あの人はいい年をしているくせに、思ったことをそのまま口に出すタイプなんだな、と芳雄は思った。
  
 芳雄はベンチに腰掛け……しばらくその包みを眺めていた。
 これまで、父の死の真相を知りたいなんて……積極的に思ったことはない。
 しかしこうなると、一般的な少年らしい好奇心が湧いてくる。
 中を見てはいけない……という理由はどこにもないだろう。
  
 袋を開けた。

 小さなそっけない形のUSBメモリが入っていた。
 そして、剥きだしのまま、3つ折りにされた便箋が一枚。
 USBメモリは見たことがないものだ。父が生前にそんなものを持ち歩いたり、使用したりしているのを、芳雄は一度も見たことがない。
 便箋を広げる。
 それは、芳雄にも、母にも、姉にも向けられたものではなかった。
 それが遺書であったのかどうかも定かではない。
 便箋には、父の几帳面な字で、こう書かれていた。
  
 “ヘイヘイ、マイマイ 蒼から抜け出し、黒へ入る。
  ヘイヘイ、マイマイ 蒼から抜け出し、黒へ入る。
  顔をつき合せるより、画(え)が多くを語る。
  ロックンロールは死なない
  消え去るよりは 燃え尽きた方がマシさ”
  
 何のことやら、さっぱり判らなかった。

 後で芳雄はインターネットでこの詩ともなんとも言えない文章を調べ、それがニール・ヤングというカナダのミュージシャンの歌の一節であることを知った。 芳雄はそんなミュージシャンのことなど、何も知らない。父がニール・ヤングを好きだったということも、まるで知らなかった。
 また、この一節は、アメリカのミュージシャン、カート・コバーンが散弾銃で自殺した時に残されていた遺書にも、引用されていたそうだ。
 芳雄は、カート・コバーンのことすら知らなかった。
 その歌の中で歌われているジョニー・ロットンと名乗っていた男のことも。
 ニール・ヤングはもちろん、ジョニー・ロットンも、さらにカート・コバーンすら、芳雄にとっては何世代も何世代も前の人物である。
 蘇我入鹿や、坂本龍馬のような。あるいは、ナイチンゲールや、ヒトラーや、田中角栄や、ダイアナ妃のような。

 わけがわからない。
 しかし、問題はUSBメモリだ。
 その中を覗けば……何かが少しは判るかもしれない。
 彼の少年らしい部分……好奇心だけが、芳雄を動かしていた。


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