バベイオモイド神様が見てる
〜秋〜
作:西田三郎
■2005年10月4日(晴れ)
……日記さん。
これから誰にあてて書いていいかわからないので、とりあえず、あなたに呼びかけることにします。
別に「アンネの日記」のマネじゃありません。ってか、なんであたし日記に敬語使ってんだ。
とにかく気持ちの整理がついたので、とりあえず日記は続けることにしました。9月24日はいいお天気でした。
あたしはそれまで崇拝していた遺薔薇屠死夫……本名、田中洋介(20)に会いに行きました。
ママには友だちと映画に行く、とウソをつきました。
あたしはそれまで友だちと遠出をしたことなんかないのでママは疑いましたが、まあそんなのどうでもいいです。そんなこと、ぜんぜん問題ではないと思いました。
あたしは一番お気に入りの、白いブラウスとネイビーブルーのフレアスカートを履いて、髪をアップにしました。パンツも新しい、ちょっといやらしめのやつを履いて上機嫌で出かけました。
まったく……今から思うとほんとうにアホらしくて、あたし死ね、って感じですけども。
イバラキ(難しい漢字を書くのもアホらしいのでこれから彼のことは“イバラキ”と表記します)の住む町はあたしの住む町からJRで40分ので行ける、隣の県の小さな郊外にありました。
何のへんてつもないしけた町です。
駅から改札を出ると、ローソンがあって、ダイエーがあって、何件かマンションがあって、住宅街が広がっていて、川の堤防があって……これくらいしか、描写することがありません。ほんとうにどうということのない、退屈なつまらない町でした。
それでもあたしはうきうきしながら、ほとんどスキップしそうないきおいで町を歩いていました。
……ああアホらしい。
柳川から得た情報によると、イバラキは医療少年院で溶接工の資格を取って、この町にある工場の中で働いているそうでした。工場の名前もわかっていたのですが、職場に会いに行っても迷惑だろうと思いましたし(あたしだって、常識くらいあるのです)彼が借りているアパートの住所もわかっていたので、あたしはアパートの前で彼を待ち伏せすることにしました。
といっても、彼の仕事が終わるはずの夕方まではずいぶん時間がありました。
あたしは近くの児童公園にあるブランコに揺られながら、ひたすら待ち続けました。
ほんと、ブランコに乗ったのなんか何年ぶりでしょうか。
あれほど時間がたつのが遅く感じたことはありませんでした。
ブランコからはイバラキのアパートが見えました。ブランコにゆれに併せて、彼のアパートが近くなったり、遠くなったりします。
ああ、ほんとうに待ち遠しい……あの日のアホなあたしは彼の帰宅を待ちこがれながら、アホみたいにブランコをゆられ続けました。
やがて日が落ちてきて、辺りが暗くなりました。
夏に比べると、ずいぶん陽が落ちるのが早くなったものだなあ、と思いました。
あたしは暗闇の中でイバラキと話し合い、そして結ばれる(ウゲー)のをずっと夢見てきましたので、あたりが暗くなるのはむしろ喜ばしいことでした。やがて公園の外灯に明かりがつきました。外灯も灯りました。
灯らないでいいのに、とあたしは思いました。
真っ暗な、深い深い深い深いふかーーーーーーい闇の中で、あたしはイバラキと……バベイオモイド神の見守る中、ひっそりとお話をするのです。
ああ、それももうすぐ実現するんだな。あたしが8歳のころから夢見てきたことが、ようやく本当のことになるんだな、とますます胸は高まります。
やがて薄暗くなった闇の中に……一人の作業服の上下を着た太った男の人がアパートに近づいてくるのが見えました。思っていたより、かなりデブでした。しかし……そんなことはあの日のあたしにはなんの問題にもなりません。
あたしはブランコを飛び降りて、駆け出しました。その男……イバラキがポケットから出した鍵をドアノブに差し入れるのと、あたしが彼のすぐそばまで走り寄って声を掛けたのはほぼ同時でした。
「イバラキトシオさんですよね??????」
あたしがあんまり大声で呼びかけたので、イバラキはまるでマンガみたいにその場でぴょん、と飛び上がり、あたしを見ました。
その時、あたしははじめてイバラキの顔を間近で見ました。
あたしは柳川から、14歳の頃のイバラキの写真をもらっていて、それをほとんど毎日のように眺めていたのですが……イバラキはもう20歳。6年間の医療少年院生活は、彼から14歳のころのおもかげをすっかり奪い去っていました。目の前にいるのは……頭を五分刈りにして、いやに生っ白い顔をした、怯えた顔のデブでした。
あたしは一瞬、我が目を疑いました。
まず最初に思ったことは、柳川にガセをつかまされたのではないか、ということです。
ガセをつかませて、それであたしのお尻の穴を犯したんだとしたら……このまま電車で飛んで帰って柳川の家に押し掛け、なぐり殺してからあいつの首を切り落とし、その首を学校の校門に飾ってやろうと思いました。肛門の仕返しに、校門に柳川の首を飾るのです。なにくだらないこと書いてんだあたし。
しかし……あたしに声を掛けられたイバラキの反応はふつうではありませんでした。
生っ白い顔はますます蒼白くなり、彼の乾いてひび割れたくちびるは、みるみる紫色に変色していきました。わなわなと、ドアノブに鍵を差し込んだ彼の左手が……彼が左利きであることは知っていました。というか、あたしみたいなファンの中では常識中の常識です……震えているのが見えました。どんどん彼の薄緑色の作業着に、汗がにじんできました。
そんなふつうじゃない彼の反応を見るにつけ……あたしの中で確信が強まってきました。
今目の前に居るのは、ほんもののイバラキなんだ。
あたしはかなりショックを受けていました。
イメージがぜんぜん違っていたからです。
あたしのイメージの中では、イバラキは14歳のころと変わらぬスリムな体型で、鋭い目つきをして冷笑を浮かべている……どことなく、獰猛で敏捷なネコ科の動物を思わせるような男であるはずでした。
しかし…………今、目の前にいるのは、怯え、ふるえ、大汗をかき、怯えきった、まるで大人しくて愚鈍な草食動物を思わせる冴えない男です。
はっきり言って、それだけであたしはかなりがっかりしました。
いや、でも。
あたしは気を取り直してイバラキに近づきました。
ここで帰っては、何のために柳川みたいなやつにお尻の穴まで差し出したのかわかりません。
なんのために8歳のころから6年間も……バベイオモイド神に向けて日記をつけ続けてきたのかわかりません。
「……イバラキトシオさんですよね」あたしはもう一度、彼の目を見て言いました。
「ひ…………」ほとんど聞き取れないくらいの声で、彼は言いました「人違いではないですか……」
「いいえ、あなたはイバラキトシオさんです」あたしは言いました。「あなたの大ファンです。8歳のころからあなたに憧れていました。この度はご出所おめでとうございます。あなたとお話をしに、となりの●●県からやってきました。お部屋に入れてください。もし入れて下さらないなら、あなたがイバラキトシオであることをご近所中や職場に言いふらします」
イバラキはがっくり肩を落として……あたしを部屋に入れてくれました。
………ああ、なんか今日はもうこれ以上書く気がしないから、続きはまた気が向いたら。<つづく>
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