童貞スーサイズ
第二章 「ウェルカム・トゥ・ニルヴァーナ」
■第17話 ■ ニルヴァーナへようこそ
「あっはっは、見てよコレ、最高」ドウ子が脚をバタバタさせながら笑っている。「やばいって、コレ」
隣りにぴったり座ったドウ子に肩をつつかれ、芳雄は顔の前に翳されたスマホの画面をうつろな目で眺めた。
助手席から身を乗り出して覗き込んできた大西も、ケラケラ笑うドウ子とともに耳障りこのうえない金属的な笑い声を上げる。
画面には、両手首をそれぞれの足首にガムテープで固定され、張りつめた性器をさらけ出して喘いでいる芳雄の姿があった。
ドウ子が笑い、大西が笑い、ワゴン車のハンドルを握る大柳さえヒッヒッヒッヒッヒッヒッヒッヒと笑う。
高速を走るハイエースの車内は、笑い声ではじけそうだった……笑っていないのは芳雄だけだ。
頭が割れそうに痛い。
現実に呼び戻されて数時間になるが、いまだドウ子のスマホに映し出されているのが自分であるという実感が持てなかった。
画面の中であられもな い痴態を晒している少年の顔を見ても、まるでえげつないエロ画像を見ているような気分になる。
まだ自分は夢の中にいるんだな、と芳雄は思った。
逆に内なる理性の声 が、もうそろそろ夢の中から出てくるべきなんじゃないか、とも言っている。
ドウ子が画面をスライドさせる。次に大写しになったのはテラテラと濡れ光った性器のアップだった。
「ああっはっは!!!!」
ドウ子が爆笑する。
すばらしい写りだ。そんなものがスマホの画面に大写しになっているという事自体が、何か非現実的な感じがした。
それは何かの幼虫のようにグロ テスクにも見え、名も知らぬ花の一部のように神秘的で美しくもあった……とまあ、そんな感想が浮かんでくるくらいだから、自分の頭はやっぱりまだ正常ではないな、と芳 雄は思った。
「……これ………これ、スゴイよ、もうハゲヤバ。ねえ、あんた、ちゃんと見てる? すっげー……美少年のチンコは、こんなふうになってんだねえ」
ドウ子ははしゃぎっ放しである。
大声で騒いでは、肘で隣に座った芳雄の身体を肘でつつく。
あまり何度もつつかれるので、芳雄はつつかれる二の腕のあたりに、軽い鈍痛を覚えていた。
「……すっげー……ねえ、大西さん、こんなの見たことある? こんな超アップ、ちょっとないよねえ……あ、大柳さん、ちゃんと前見て運転する」ドウ子が芳 雄の顔を覗き込み、無邪気に満面の笑みを浮かべる。「……ねえ、スゴイよねえ、コレ。あんた、ウレシイでしょ。こんなの、なかなか見れないよ。うれしいで しょ? ほら、ウレシイって言いなさいよ」
そういって芳雄の頬をぎゅう、とつねって伸ばす。
芳雄は曖昧な笑みを浮かべた……それが正しい反応であるかは大いに疑問だったが、とにかく今は笑うしかなかった。
あの、この世の終わりかとさえ思えた激しい射精の後、芳雄はしばらくの間失神していたようだ。
気が付くと、走行中のワンボックスの中に居た。
一体誰が精液まみれになった自分の身体を拭ってくれたのか、そして服を着せてくれたのか想像もつかない。
芳雄は姉の服を着る前の本来の姿……ジーンズとTシャツにジーンズに戻っていた。
また画面をスライドさせるドウ子。
「あっはっは!!!!」ドウ子が狭い車内で飛び跳ね、肘で芳雄を激しく揺さぶった。
「………」
芳雄の顔が画面に大写しになっている……とても自分の顔とは思えなかった。
画面の中で、芳雄はカメラに向かって喉仏を見せつけるように、後ろに仰け反っていた。
半眼の目は焦点を失い、右目と左目の黒目はそれぞれ別の方向を見ている。
ぽかんと 痴呆のように開いた口からは、涎が太い筋を作っていた。
陶酔がここまで人の容貌を歪めるものだろうか……見れば見るほど肉体の快楽に正気を失っている自分 の様は、滑稽で奇妙だった。
これまでにエロ動画などでさまざまな女の絶頂シーンを見てきたが、ここまで無様で間抜けな顔にはお目に掛かったことがない。
つま りこれまで見てきたものは全て紛い物だったということだ。本物の絶頂は熾烈で、致命的なのだ。
芳雄はそれを自身で体験し、いま、その動かぬ証拠を突 きつけられている。
何故か芳雄は、父の顔を思い出した。
あの動画の中で、今隣に座っている少女……ドウ子の下着の中に手を入れて歓喜に我を忘れていた(ように見えた)父の顔。
見せつけられている自分のアヘ顔に、父の面影を見た。
いや、違う……全然違う。自分のほうがもっと醜悪で俗悪だ。
「すっげーバカ面!!」呼吸困難を起こしながら、ドウ子が芳雄の心の傷に塩を塗り込む。「あんた、これ、自分で見てどうよ? ……ねえねえ、なんか言いなさいよ。あんた、こんな顔してビンビン感じてたんだよ。ヨダレたらしてんの……あっはっは………うーけーるー……お腹いたい」
「…………」
芳雄には返す言葉はなかったし、言葉を返す気もなかった。
曖昧な笑みを浮かべるだけでこの場をやり過ごせるなら、それに越したことは無かった。
「……こんなバカ面の写真撮られちゃって、どうする……? あんた、これ、すごいよ。すっげー記念になったねえ………いやあ、いい思い出づくりができて良かったねえ!!」
「………はあ」
なんとか、それだけ言えた。
「『はあ』? ……ねえ、聞いた? 大西さん。『はあ』だって」ドウ子が助手席を背後から蹴りながら言う。「……あ んた、これ、『はあ』で済む事態じゃないよ……ねえねえ、教えてよ。自分のこーんなハズカシイ顔見せられて、今あんたどんな気分?……ねえ、言いなさいっ たら」
「……べ……」からからに枯れた喉から、なんとか言葉を絞り出す「……別に」
「……『別に』? ……ねえねえ、どうする? 大西さん」またドウ子は助手席を蹴る。「『別に』って……あんた、それで許されると思ってんの? ……あんた、甘え てるよ。マジ甘えてる。……ねえ、あんた、こう思ってない? ……“今はテキトウに笑ってごまかしてたら、メンド臭いことは通り過ぎてくれる”っ て」
「えっ……」
芳雄はぎくりとした。まさにそのとおりのことを考えていたからだ。
「終わんないよ」ドウ子は言った「……これがはじまりだよ」
出し抜けに、ドウ子が身体を密着させてくる。
散々肘で小突かれて鈍痛を帯びていた部分に、小ぶりだがやわらかい肉の塊が押しつけられた……胸だ。
思わず芳雄は息を呑ん だ。
数時間前にそれどころではない絶頂を迎えていながら、そんなことにいちいち反応してしまうとは……しかし、その感覚は新鮮なもの だった。
ドウ子がぐっと顔を近づけてくる。狭い車内で、芳雄は後ずさった。
ほとんど息がかかりそうな距離に、ドウ子の顔があった。
実際に息がかかる度に……芳雄の身体は大袈裟なくらい反応し、びくん、と震えた。
「……あんたはね、もう、あたしたちの仲間なんだよ」
「……え?」
「クラブ・ニルヴァーナへようこそ」
助手席から振り返って、大西が呟く。
「クラブ・ニルヴァーナへようこそ」
運転をしながら、大柳も同じことを呟いた。
「……クラブ・ニルヴァーナへようこそ」
最後にドウ子が囁く。
まるで秘密結社の儀式か何かのように思えるほど、その口調は大まじめだった。
ドウ子の顔からさっきまでの子どものような笑いが、すっかり消え失せている。
いったいドウ 子にはいくつの顔があるのだろう、と芳雄は思った。
いったい、何分の一の彼女を自分は知っているのだろうか……?いや、それどころではない。
芳雄は彼女の本名すら知らない。
「……あんたも、そのつもりでやって来たんでしょ?」
「……え……?」
「……あんたのガキ時代は、今日で終わり。あんたは、これからずっと、ずっと、あたしたちの仲間なんだからね……言っとくけど、これはあんたが望んだことなんだからね。あんたが勝手に、自分からあたしたちのところにやってきたんだからね」
「…………ぼ……ぼくは……」そう口にしたものの、次の言葉が出てこない。
「『ぼくは……』……何?」ドウ子の口の端がゆっくりと歪む。「『そんなつもりじゃなかった』って?……だめだよ。今さらもう、引き返せないよ」
「………」
「……これ、あげる」ドウ子が手品のように、オレンジ色の型遅れのガラケーを取り出した。「これが、今からあんたの生命線だから。なくさないようにね」
問答無用で目の前に翳された携帯を、芳雄は反射的に受け取る。
「………いったい……これって……?」
「あたしたちが呼び出したら、何があっても飛んで来るんだよ。わかった?」
「………」
異議を挟み込む隙を、ドウ子は芳雄に与えなかった。
「どうなのよ? 返事は?」
「………な……何を……しろって?」
「ああ、もう。なんかイライラしてきちゃった」そう言ってドウ子は顔をしかめた。「……何をって、わかってるでしょ。あんたも今日から『心中ガール』なんだか ら……ってか、あんた、もっとプライド持たなきゃ……だって、『心中ガール』はじまって以来の男の子なんだから。ね、わかった? あんたは今日から、ただのガキじゃなくて『心中ガール』なの。あたしたちが呼び出したら、何があっても駆けつけること。わかった?」
「…………」
「返事は?」
「………いやだと、言ったら?」
ドラマや映画の中でしか使われる事のない台詞だと思っていた。
「……あんたの画像が、世界のみなさんにネット配信される」そう言ってドウ子はスマホ画面を芳雄に向けた。「ほら、こんなゲキハズカシーのが」
その画像には、芳雄のぼやけた意識を一気に覚醒させる力があった。
画面の中で、芳雄は仰向けに横たわり、肋骨を浮かせて仰け反っている。
腹といい胸といい、身体の前面全体に精液が飛び散っている。
画面の正面は向いていなくと も、その顔は真っ赤に紅潮し、絶頂の快楽にゆがみ、ねじれている。
大きく広げられた脚の付け根では、赤黒く変色した性器が律動してぶれている。
そして縮み 上がった睾丸の真下に、ドウ子の手が映っている……その指はぶっすりと根元まで肛門に突き刺さっていた。
「……わかったあ?」ドウ子が真っ直ぐに芳雄の目を見て言った「……ガキだったあんたは、今夜、死んだの」
やがて3人の嘲笑と芳雄の動揺を乗せたワゴンは、芳雄の自宅の最寄り駅に到着した。
スライド式のドアから芳雄が降りると、ドウ子が背後から声をかけた。
「……あんたの恥ずかしい写真、全部あんたのパソコンに送っといたから」
芳雄はゆっくりと振り向くと……素直に……しつけられた犬のように頷く。
「じゃね……おやすみ。また近いうちに連絡するから」
それだけ言い残すと、ドウ子はぴしゃりとドアを閉めた。
もう真夜中を過ぎている。
芳雄は駅前ロータリーを出ていくワゴンを、黙って見送った。
家に帰るべきだろうか……と芳雄は思った。
いや、帰るしかないだろう。
でもなぜかしばらくの間……帰り途がわからなかった。
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