ターミネーター3

〜こんなはずじゃなかったという思い〜

2003年 日

監督:ジェームス・キャメロン(ではなくそのパシリ)

冒頭、ゴミ捨て場をラジコンが走り回るような脱力系の未来戦争の風景を観て、一瞬「ダメだこりゃ」と思ってしまった1作目から約20数年、T−101型がまたまた帰ってきました。って、今頃観てるワタシもワタシなんですが、もはや3作目ともなりますと、実に肩に力の入っていない作風が好感の持てる仕上がりになっておりました。くどいほど繰り返される女ターミネーター(結構可愛い。一台欲しいですね)の過剰な頑丈さをダシにしたギャグや、取ってつけたようなターミネーター自身の葛藤シーン、「博士の異常な愛情」もどきのラストなど、金が掛かっているわりに安く・軽い全体の作りは、ある意味、「ロボコップ3」並の潔さと言えるでしょう。
しかしこの「3」で一番グッと来ましたのが、本来なら救世主になるはずだったジョン・コナーが、未来戦争の到来が一旦回避されてしまったことにより、アル中のロクデナシに落ちぶれてしまっているオープニングです。
今やこんなに腐ってしまったワタクシですが、学生時代は旅館で夜勤のアルバイトをしながらノートに小説などを書きためているような真面目な文学少年でした。そんなワタシを見て同僚のMさんは、「おう、西田君は作家志望なんか!ワシも君くらいの歳はそうやった。学生時代は2回も文学賞に入選したことがあってなあ…まあ、君もがんばりや!」と励ましてくれましたが、そんなMさんは40を過ぎてワタシと同じバイトの立場でチンケな旅館の夜勤をしているわけですね。そして、当のワタシも今やこんな状態です。「今の自分は仮の姿。本当の自分は出来る奴なんだ」というのは人がどうしようもなくツマらない人生を生きていく上で欠かせない妄想のひとつですが、それにしてもジョン・コナーの落ちぶれっぷり(役者もショボいやつに変わっていますし)はズシンと胸に来るものがありましたね。
出来ることならあのままターミネーターが未来からやって来ない方が、ずっと心に残るいい映画になったかも知れません。

 
 

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