のヒト
〜暗いと不平を言うよりも、進んで灯りを灯しましょう〜

妄想:西田三郎

■2004/04/27 (火) 宗教のヒト 第一回 〜クッククックー〜

 大きな声では言えませんが、ワタシは学生時代、とある宗教団体が経営する京都のホテルでバイトしておりました。とある宗教団体と申しますのは、はっきりと名前は申し上げられませんが、ヒントとして「珍味」と「クッククックー」の2キーワードを挙げておきましょう。

 なんでそのホテルで働くことになったかといいますと、単に友人の紹介だったワケで、ワタシ自身はその宗教とは縁もゆかりもありませんし、結婚相手だって自分で見つけました。

 そのホテルですが、経営母体がかの宗教団体であるということと、正社員の80パーセントがそこの信者であるということを除きましては本当にフツウのホテルでした。確かに冷蔵庫に常備されているのは、あのメッコールであり教団関係者が宿泊する際にはお父様のお写真が部屋に飾られたりしたのですが(一度、客室係がそれを仕舞い忘れたまま一般客が宿泊し、そのお客様が大層驚かれた、ということもありましたが)、まあ一般客には恐らくお泊りのお客様も、シケたホテルだったという印象以外は、なんら違和感を感じずにチェックアウトされていかれたことでしょう。

 実際、修学旅行の中学生などがよく宿泊していましたので。

 して、信者でありますそのホテルの社員の方と話していますと、自ずとその宗教が魅力的に感じてくるから不思議です。
何故なら、入信さえすれば確実に結婚できる訳です。

 人生の最大目標が結婚であり、その達成の為なら相手を選ばないという方でしたら、本当にお薦めの宗教です。ちなみに、わたしが一番よく話をしておりましたその社員さんが入信した理由は、どうもソレのようでした。いや、人間切羽詰ると何をするか判りません。

 わたしは未だに、合同結婚式を1ヶ月後に控えていた社員のMさんのうれしそうな顔を忘れることができません。

余談:かつてオウムがマスコミを賑わせていた頃(わたしがこのホテルでバイトをはじめる前です)、オウムのオーケストラである「キーレーン」がこのホテルに宿泊し、かの教団とオウムとの関連性がウワサされたことがありました(確か、江川紹子さんもテレビで仰ってたような…)。かの教団は熱心な反共親米思想で有名であり、オウムは「アメリカが教団施設にサリンを撒いた」などというくらいの米国嫌い。どうも話の辻褄が合いません。確認してみますと、確かにキーレーンはこのホテルに宿泊し、何と宿帳には早川紀代秀の名前があったりして吃驚なのではありますが、その予約を取り付けたのはかの教団の信者ではないフロントマネージャーであり、オウムの楽団であるとは全く知らなかった、とのこと。ちなみに麻原彰晃こと松本智津夫は、このシケたホテルではなく京都●ライトンホテルに宿泊なさったそうです。

 京都でご宿泊の際は是非どうぞ!安くて庶民的なホテルですし、下鴨神社も近くて便利です。

<つづく>



■2004/04/29 (木) 宗教のヒト 第二回 〜腐らない林檎〜

 数年前、駅のホームで電車を待っておりますと、若い女性(けっこうイケている)から声を掛けられました。

「もしお時間よろしければ、あなたの健康と幸せを祈らせていただけますか?」

 例のアレです。まあ、ヒマでしたし、相手は若い女性。しかもタダで赤の他人であるワタシの健康と幸せを祈って下さるということですので、祈っていただくことにしました。

「あの、どうすればよろしいでしょうか」とワタシ。
「取りあえず、煙草消して下さい
はい

 してから30秒ほど、その女性の手からワタシに健康と幸せのオーラが降り注いだワケですが、その数時間後、ワタシは階段から落ちて突き指しました。

 大いに憤慨しましたワタシはその女性から教えていただいた彼らの道場に乗り込んでみることにしたのですね。
いや、当時は若かったなあ

 道場の様子はほんとうに柔道場のようなカンジでして、そこでは老若男女が何組が正面に向かい合って座り、お互いの頭の上に手を翳してフォースを送り合ったりしているワケです。ワタシに対応してくれた若い男性は、わたしの突き指の件を聞き、やたら落ち着いた様子でこういいました。

「それはホントウに運が良かったですね!その日お祈りを受けていなかったら、もっと酷い大ケガを負っておられたかも知れませんよ!」
 
 恐らくワタシのようなクレーマーに対しては完全な対応マニュアルがあり、そのマニュアルどおりのクレーマーがワタシだったということでしょう。

 その後、男性は腐ったリンゴの標本を示し、こちらが手翳しを受けていない3週刊前のリンゴで、こっちの新鮮な方も同じ3週刊前のリンゴですが手翳しを受けているからホラ、腐ってないでしょとかうんぬんかんぬんと説明をしてくれましたが、わたしはどっと疲れました

 つまりこの宗教に入信すると、ゆくゆくは冷蔵庫なしの生活が出来るようになる、と。そういう事のようです。

<つづく>



第2回の掲載直後より、怒濤のようにスパムがわたしのアドレスに押し寄せました


■2004/05/03 (月) 宗教のヒト 第三回 〜そうか、なるほど〜

 いやあ、やっぱり宗教ネタは反響がすごいですね!!

 それはそれとしまして本日の題材は、アノ宗教
 恐らく皆さんの周囲にもその宗教の信者の方はたくさんいらっしゃることでしょう。ジョン・カーペンター監督の「ゼイリブ」よろしく、かの宗教の信者を見分けることの出来るサングラスなどありましたら、その潜在的な信者数の多さに吃驚することひとしおでしょうね。最近、電車に乗りますと車両の吊り広告の半分以上がその宗教の息の掛かった雑誌の広告だったりして、背筋が寒くなることがありますが。

 で、かの宗教の信者の方の特徴ですが、とても他の宗教をクサすことに長けていらっしゃいます。
 
 数年前、その宗教の方とお話する機会があったのですが、こんな調子なのですね。

 「で、君んとこの宗派は何?」と、やけに目の座ったそのお方。
 「禅宗ですが」とワタシ。
 「禅宗か…ということは、脳溢血で無くなった親戚の方とか多いんとちゃうの?」
 
 何でもそのヒトの話によりますと、禅宗を信仰しているヒトには脳溢血が多いらしい。それがあながち的はずれではなく、ウチの祖父祖母も両方が脳溢血で死んでるんですね。ワタシは心底気味悪くなりました。

 しかしまあ、よく考えてみますと、脳溢血は日本人の病死理由におきましては癌の次にくるナンバー2ですので、親戚のなかで脳溢血で死んでいるヒトが多いのは、誰だって同じなのですね。これはサギ師がよく使用する、コールド・リーディング(※注1)というインチキの一種です。

 そこから各種仏教宗派にはじまってキリスト教からイスラム教まで、そのヒトの一大宗教批判が始まりました。ありとあらゆる宗教の協議には矛盾があり、そうした誤った教義への信仰には必ずしや厄災が降りかかることになっており、それがカルマだというのですね。

 大変恐ろしい話ですが、新聞の勧誘ではないのですから、己の信心の尊さを説くのであれば、もっと品のいいやりかたがあってもいいのではないかと思った次第です。

(※注1…コールド・リーディング=どのようにも取れるような、もしくは最大公約数的な回答を予測しやすい質問をすることにより、相手の返答を先に言い当てること。ようするに、カマを掛けること。有名な例では占い師の「あなたのお父さんは亡くなっていませんね?」というのがある。YESと答えると、「いませんね」はIsn't There(居ませんね)の意味となり、NOと答えるとNot(死んでいない)の意味となる。最近はオレオレ詐欺などに活用されています。)



■2004/05/04 (火) 宗教のヒト 最終回 〜ミッション〜

 さて、この罰当たりな連載も最終回。
 最終回はソレに相応しく、世界で最もポピュラーな、アノ宗教に関してお話したいと思います。

 さる事情から足を踏み入れることになりましたその教会の牧師はかなりゴーゴーな方でした。
 その牧師はどういう事情からかは知りませんが、日本におけますかの宗教のメインストリームからドロップアウトし、今のところ教会を持たずに団地の集会所にて日曜礼拝を執り行っている一匹狼

 集会所には、パリで逮捕された頃の佐川一政のようなルックスのその牧師をはじめ、団地の主婦やらその子どもやら、その牧師の助手であります数人の女性陣(皆、それなりに美人)と、かなりの沼気を放つ面々が集い、ワタシはいきなり帰りたくなってしまいました。

「10年前、神はわたしに言いましたハレルヤ!おまえたちは神殿を建てるべきだとハレルヤ!皆さんの信仰によってそれが実現するのですハレルヤ!」

 と、その牧師は上機嫌でシャウトを続けますが、まあ要するにちゃんとした教会を建てるための募金を集っているのです。ひとしきり金を出せ出せとわめきまくった後、お歌の時間になりました。
 しかし歌が始まって吃驚。
 なんとその歌は賛美歌でもなんでもなく、その牧師のオリジナル・ミッションソングなのですね。

 「♪〜神の手が〜♪、ワタシを〜♪はげしく〜覆う〜〜…」

 なんだかこっぱずかしい曲調のその歌は、地獄の責め苦のようにリフレインがしつこく、同じフレーズを繰り返し繰り返し歌っているうちに牧師先生のバックコーラスを勤める女性陣はすっかりトランス状態
 
 まるでオウムシスターズです。

 わたしはその歌が本当に、永遠に終わらないのではないかと不安になり、リフレインの最中に会場をこっそり抜け、駅に走りました。尾けられてはいないか、時々背後を確認しながら…。


 信仰を持つというのは大変素晴らしいことです。
 神のような大いなる存在を想定し、それに語りかけるのは、人間という弱い存在がこの世界で生きていく上ではある意味必要なことなのかも知れません。
 
 しかし、ヒトが神に語りかけるのは信仰ですが、神がヒトに話しかけてくるのは病気なのですね。

なんだかよく判りませんがとりあえず終了

<おわり>

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