左手に告げるなかれ
〜痴漢冤罪問題について考える〜

妄想:西田三郎

■2004/03/30 (火) 痴漢冤罪問題〜第一回 「冤罪?」

 少し前のある新聞の読者投稿欄に、以下のような内容の投書がありました。

 「最近、通学電車に女性専用車輛ができたが、それを利用せず普通の車輌に乗り込む女性も多い。僕は毎朝の通学電車の中で痴漢に間違われやしないか、いつもビクビクして通学している。いっそ、男性専用車輛を作るべきなのではないのか」。

(17)高校生



 いや、17歳男子よ。心配するならもっと期末試験の結果とか自慰が過ぎると記憶力が鈍るのではないかとか、もっと若者らしくミのあることを心配しなさい。

 しかしまあ、この17歳男子に限らず、ともすれば通勤(通学)電車のなかで痴漢に間違われやしないか、と常に心配している男性は結構多いようです。アサ芸や実話やポストにおきましても、痴漢冤罪事件は常に大きなトピックスとして取り扱われています。「痴漢冤罪!そのときアナタは!」みたいな見出しが我々小市民の男性の危機感恐怖感を大きく煽るのですが、実際、巷で話題になっている痴漢冤罪事件の何割くらいが、本当に冤罪なのでしょうか?

 こうした件で、最終的に裁判で無罪を勝ち取った方も結構いらっしゃるようですが、それは単に裁判で彼の痴漢行為を立証できなかった、というだけの話であって、本当にその御仁がシロであったかいなかはまた別の問題です。
 ってか、法の裁きとはそういうものですね。

 だいたいからして混んだ電車内で、思いがけず手の甲が女子のケツに当たってしまうのと、その手を裏返しモミモミするのとでは相手(女子)の不快感と本人(痴漢)の満足感の上でも大違いなのであります。

 このような冤罪ケースが過剰にフィーチャーされるということは、実際の被害者である女子達が被害を届け出ることを躊躇してしまうことに繋がり、はっきりいって日本治安の危機なのだと思うのですね。




■2004/03/31 (水) 痴漢冤罪問題〜第二回 「左手に告げるなかれ」

痴漢冤罪問題を受けての世間のオッサン層の意見は大同小異、以下のようなものです。

 「そんなもん、誰がキムタクやらタッキーやらのイケメンに触られて嫌がりまっかいな。わしらみたいな汚いオッサンやから、肩や手がちょっとケツに当たったくらいでやいのやいの言われまんねんや。ほんま、減るもんやなし。世知辛いご時世でっせ」

 一言で言いますと、こうした自意識過剰な思いこみこそが世のオッサン層の痴漢冤罪に対する過剰なまでの警戒心を喚起していると思われるのですが如何なものでしょうか。実際、キムタクタッキーのようなイケメンがそのような行為に及んで来た場合、被害女性は汚いオッサンに触られるのよりも当惑し、混乱することでしょう。間違っても嬉しくはない。

 しかしオッサン方、あなたたちに聞きますが、電車の中で若い女子のチチケツ不可避的に我が手が触れたとき、アンタ方はその感触を少なからず楽しみませんかね?いえ、楽しんでいないとは言わせません。触れた手の甲に、肩に、全身全霊の神経を集中させて、そのわずかばかりの間、至福の時間を過ごしたりしていませんか。わたしならしますが

 要するに、若い女子のチチやケツに触りたい、という根源的な男子の願望こそが、痴漢冤罪に対する過剰な警戒心を生み出しているのです。
 一億層痴漢メンタリティ、これが日本人男子の正体です。
 
 聖書でナザレのイエスもこう言っています。

 『姦淫するな』といわれていたことは、あなたがたの聞いているところである。しかし、わたしはあなたがたに言う。だれでも、情欲を抱いて女を見る者は、心の中で姦淫をしたのである。

マタイによる福音書 第5章:27節

 これは大部分のプロテスタントにより、「心の中で犯す姦淫の罪も、実際の姦淫と同様に重罪である。だから皆の衆、いやらしいことを考えてはいけないのだあああああ」というふうに解釈され、それが極端に行き過ぎてしまったのが、現在米国のブッシュ政権下で国民教育にガンガン取り入れられている、純潔思想という統一協会発の考え方であり、ブリトニー・スピアーズもその影響下にある発言を繰り返しているのですが(あっ!また余計なこと言っちゃった!!)、わたしの解釈はつまり、

「心の中でやらしいことすんのも、実際にやらしいことすんのも、五十歩百歩とちゃいますの。皆さん、いつもやらしいこと考えませんか?考えますでしょ?そやから実際にやらしいことをした人のことを、一方的に責めるんはどうかと思いますが…ねえ?」ということ。
 
 イエスは心の中でやらしいことを考えるのを止めろ、といっているのではなく、誰も己の罪に自覚的であれ、と言いたかったのでは、と。

 実際に触ること触りたいと願望し続けることの間には、罪悪としての開きはそうありません。
 まさに、あなたの右手が悪事を働こうとするなら、それを左手に告げるなかれ、なのであります。






■2004/04/01 (木) 痴漢冤罪問題〜第三回 「幻想の普通痴漢」

 はてさて、なぜ日本男児がかくも痴漢冤罪を恐れるのかということを考えるにあたって、外すことの出来ない重要な要素があります。
 それは電車内におけます痴漢という卑劣な犯罪行為に対して、日本男児は世界的な見地でみましても、過剰な幻想を抱来すぎているのではないか、ということですね。

 だいたいからしまして、「痴漢もの」というジャンルがアダルトビデオの外すことのできない主要ジャンルとして君臨し続けている(※注1)ような国は、世界広しといえども日本だけでありましょう。
 
 こうしたビデオの内容非常にソリッドかつワンパターンでありまして、哀れな被害者の女子(役の女優)が痴漢(役の男優)に電車内で破廉恥な行為を強要され、なんやかんや言っても最終的にはアクメってしまう、という「ロード・オブ・ザ・リング」もビックリなファンタジー感覚に満ちています。

 言うなればこれが日本男児を支配しておりますところの「痴漢幻想」でありまして、それにより「痴漢イメクラ・電車でGO!GO!(※注2)のような風俗店が繁盛するわけですね。出来ることなら、このテーマに関して上野千鶴子先生あたりに1冊本を書いていただきたいものです。ひさうちみちお先生はもう書いておられますが(※注3)

 それを専門として取り扱うたこんなサイトも存在するわけですし、まーわたくしめもそうした悪しき欲望につけいる形で、こんなのやあんなのやそんなのを書き、当HPにうぷしたりして、かつ読者の皆様に喜んでいただいています

 また、日本橋でんでんタウン(東京では秋葉原)などに集う健全なお風呂嫌いボーイズの間では、痴漢エロゲー(※注4)なんてのもメジャーですね。わたくしも死ぬまでにいっぺんはプレイしてみたいのですが。

 つまり日本人男子は世界的な見地で見ても、性に対する冒険心が実によく発達しているといえましょう。

 これらの幻想が、日本男子に「結局はオネエサン方が痴漢と騒ぐのも相手、もしくはヤリ方次第」という間違った思いこみを産み、痴漢冤罪へのパラノイックなまでの恐怖に繋がっていると考えられるのですね。

(※注1:たとえば、こんな
(※注2:たとえば、こんな
(※注3:つまり、こういう本
(※注3:いわゆるこんなゲーム
※今回のリンクは、18禁の内容を含みますので、お子さまは見ちゃだめ。っていちおう言っときましたよ。



■2004/04/02 (金) 痴漢冤罪問題〜最終回 「メメント・痴漢衝動」

 はっきり言いまして全4回のはずが、もうほとんど書くことが無くなってしまったのでありますが、ようするにわたくしは日本国男子一般に巣食う「痴漢幻想」を糾弾したいのではありません。むしろそうした幻想を持つことはむしろ生物としての機能が健全である証しであると言えましょう。

 痴漢幻想を持つ者は、思うさま痴漢AVを観て、痴漢風俗に通ったり、痴漢エロゲーなどに勤しむがよろしい。
 
 ただ本当にヤってしまった時は妙な言い訳などせず、キッチリ司法の裁きを受けるべきですね。
 それが欲望の代償というものです。

 痴漢冤罪問題というのはつまり、日本男児の危機管理問題ではなく、己の中にウズマく悪しき動物的衝動、つまり「出来ることなら心の赴くままに電車の中で見知らぬ姐ちゃんのケツやチチを揉んでみたい」という思いをしっかりと自覚できるか否か、という主体的自覚の問題なのでありますね。

 痴漢に間違われたらどうしよう、といらぬ心配をすることはつまり、己の中にそうした衝動が存在することを否定し、「そんなつもりは全くないのに女どもはオレ達を痴漢に仕立て上げようとしている」というパラノイックでカマトトな言説に自らの自己を逃避させることであります。

 常にケツやチチを触りたいと願う自分を自覚し、認めること。

 それさえ常日頃心掛けるいれば、冤罪を恐れることもないし、もし本当に痴漢で捕まったときも
 そうさ、そこにケツがあったから触ったのさ
 と爽やかな笑顔でお縄を頂戴できる、立派なあなたがそこに居るでしょう。
社会生活を全て失うでしょうが)

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