ランド・オブ・ザ・デッド 〜新世界の中心でウオーと叫ぶ〜
2005年 米監督:ジョージ・A・ロメロ
フェスティバルゲート(大阪市浪速区)は1997年7月、西日本最大の労働者街である釜が先・あいりん地区につづく地域への正面玄関、新世界に華々しくオープンした都市型総合娯楽施設でした。
各種大型店舗とレストラン街にシネ・コンプレックス、館内を縫うように走るジェットコースターにゴンドラ、メリーゴーランドとその様はまさに娯楽の殿堂。開設当時は一年間で八百三十一万人が入場し、NHK連続ドラマ「ふたりっ子」の人気にも乗っかり、通天閣とともに新たな大阪の目玉観光スポットとして、人々に愛され、大阪の観光産業の一大拠点になるはずでした。そう、はずだったのです。
しかしそのオープンの7年前、その街には平成ニッポンを湧かせたカオスが渦巻いていました。
1990年10月、大阪府警西成署の警察官が賄賂を受け取ったとか、受け取らなかったとか、そんなことが理由だったように記憶していますが、5000人もの労働者の大群が西成警察署を取り囲み、一時的に街の治安は失われました。投石や自転車、コンクリブロックや各種廃材が出動した機動隊に投げつけられ、機動隊はこれに放水車で応戦しました。繰り返しますが、これは1990年、今から僅か15年前の出来事です。暴動は数日間続き、3日を数える頃には単に騒ぎを聞きつけてきたお調子者(西成労働者とは何の関係もないヤンキーの皆さん)たちが火ビンを投げたり車をひっくり返したりと、まさに「北斗の拳」のザコ顔負けの大暴れをした結果、街は戦場となり、現在フェスティバルゲートの最寄り駅であるところの南海・JR新今宮駅は一時的に閉鎖しました。
繰り返しますが、これはたった15年前、1990年の出来事です。
それから7年後、そうしたカオスの歴史を塗りつぶすかのように、フェスティバルゲートは建立されました。
子どもさんもたくさん集まる娯楽施設ということで、施設は夥しい数のガードマンを動員し、昼間っから酒かっくらってフラフラしている労働者の皆さんたちに、やんわりと、しかし確実にプレッシャーを与え、その侵入を食い止めました。
そこからわずか1年。フェスティバルゲートは警備費のかさみなどからいきなり八億五千万円の赤字を抱えることになります。2002年7月、運営委託側の信託銀行が事業を放棄。ビルの所有権は大阪市に委譲され、オリックスの出資会社が再建計画に乗り出し、娯楽施設「交通記念館」(仮)のオープンを計画しますが、すでに入居しているテナント数点が立ち退きを拒否。計画は頓挫し、市の頼みの綱だったオリックスは再生計画から手を引きます。同施設はテナント契約の切れる2007年まで、市が運営することになりましたが、運営管理費などに約八億九千万円が見込まれており、これは公費が負担します。
つまり、我々大阪市民の血税から。
今、フェスゲ内はほとんどの店舗がシャッターを降ろし、ジェットコースターもメリーゴーランドも稼働することなく、風雨に打たれています。施設内はまるで廃墟のようで、人影はほとんどありません。
はてさてそんな施設の最上階にあるシネコンで観た「ランド・オブ・ザ・デッド」。
貧困は確実に虚栄を蝕み、いつの日かそれを打倒するのです。
大阪にお住まいの皆さん、この映画はフェスゲのシネコンで観ることに意義があります。
貧乏人を食い物にする支配者たち……資本家、間抜けな行政の連中を逆に食い物にするゾンビ達の勇姿。
ゾンビ軍団を率いる黒人ゾンビに1000%感情移入して観たわたしは現在、完全失業中です。
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